RECORD

Eno.32 不藤識の記録

monologue. 『松』

「京介……ごめんっ……ごめんねぇ……っ!」
「私じゃ、ダメだったみたい、で……」

 一人の女が啜り泣き、赤子に謝罪を続けている。
 逃れられない現実に直面して。己の決断を悔いながらも、そうするしかないのだと最愛となるはずだった命を手放すのだ。
 なんと、惨いことか。

「神様、神様ぁ……っ!お願いします。どうか、どうかっ」
「この子が、長生きできるように……」
「お願いいたします。私は、私には、守るべき子が他にもいるんです」
「だから、どうか、京介をっ」
「京介のことを……よろしく、お願いいたします……っ!」

 残された手段は神頼み。
 彼女に神秘関係の組織との繋がりはなく、唯一知っているのはこの寂れた神社のみ。
 医者も匙を投げた未知の事象について、いずれかの組織が感知するのを待っている暇はない。そんな中、尊い命が尽きる前に取った、彼女が生きる世界における最善の行動。
 この赤子が、自分の力で、自分の意志で生き続けるための零歩目。
 この日、彼は大切な存在となるはずだった家族との縁を切ることで、人生のスタートラインに立ったのだ。


――――――――――――


 この男児は不思議なことに、どうにも情緒が育つ気配がない。
 精神の形がどの方向にも一定。恐ろしい程に平等なのだ。
 それに加え、生来の神秘が邪魔をしている。
 命を奪う神秘は、己すらも対象にしてしまう。制御できない限り、未来はないというのに。
 それを修練する機会すら与えられないのでは、自滅するだけの存在になってしまう。
 これでは長生きできない。遠いうちに破滅してしまう。
 故に、彼が不平等にでも長生きできるよう、策を練った。

「吾の御坐に迷い込みし幼子よ」
「生を望みし強欲なる子よ」
「火に非ず。凶に惹かれ、其れを救けんする男子おのこよ」
「其方に、吾が新たなる名を授けよう」
「藤に非ず、世の均衡を識る者」
「不条理を許さず、世の不平等を愛せよ」

「其方の名は――」
「――不藤識不等式


 名付けとは、重要な行為だ。
 名は体を表すとは正にこのことで、神秘存在も己の名称に引っ張られることが往々にしてある。
 それは現代においても変わらず、この性質を利用して神秘を意図的にひとつの器に紐づけることも可能なのだと、この身を以て世界に願った。
 その結果生まれたのが、不等式という名の現代における神秘であり。
 不藤識という名の、贄である。

 これを不知火京介の魂に被せることで、いつか来るその日まで落陽明松を抑え込み、相反する比較対象を得ることで、何かしらの感情――特に嫌悪が発露することを狙う。
 不藤識の魂が喰らい尽くされ、失われる頃には不知火京介による落陽明松の制御も完了する見込みだ。
 同時に、平等な精神にも綻びを生じさせることで二つの自滅を防ぐことができる。
 これこそが本命。不知火京介が、不知火京介としての情緒を育み、己に宿した神秘に負けず生き残るための策である。

 だがしかし。
 もしも、不知火京介が自滅する未来を免れなかった場合は、不藤識が生きる未来を模索しなければならない。
 落陽明松の制御は可能であることは、吾の一部を犠牲に証明したが。心の在り方についてはどうにもならないものだ。
 故に。もしも、不知火京介の様子が変わらなかったら。
 或いは、万が一にも不知火京介が生きることを放棄したのなら。
 その時は、この人間の器に残されたたったひとつの席を、不藤識に譲る、と。
 不藤識もまた、不知火京介から分かたれた一部であり、同一存在である。
 ならば、そうなっても不知火京介が生き続けていると言えるのであろう。

 幼き魂とその旨の契約を済ませた。
 過酷な決断ではあるが、これが次善策。
 ある母親が左目を捧げて告げた、我が子の幸せを願う祈り。
 吾の耳が、吾の社で聞き届けたならば、無理やりにでも叶えるしかあるまいよ。


――――――――――――


 物心ついた頃には、自分には意識と神秘だけしか残っていなかった。
 いずれ返されるらしい身体は、俺の意思では動かせなくて。ただ、俺ではない俺が自分を動かすのを眺めるだけ。後はたまに、自分の神秘が呼び出されたら従うだけ。
 そんな具合の冷たい人生だ。

 俺ではない意識が不藤識という名前を持つことを知ってからも、変わらない日々を過ごした。
 友達の居ない学校で授業を受け、誰とも話さず帰宅する勿体ない生活。
 修行と勉強をひたすらに積んだ後、ご褒美として映画やアニメを眺める楽しい生活。
 それをいったりきたり。表と裏もいったりきたり。
 暇なので、あいつが勉強することを自分も必死に覚えようとしたが……どうも、あいつが学んだことは自然と俺の頭の中にも入っているようだ。
 だから、あの映画の感想を聞かれたらすぐに答えることができるし、歴史上の人物について詳細を語ることだって可能だ。
 英語も話せるし、古い日本語を喋れば白亜が喜ぶのも知っている。
 俺が一緒に学ぶことを意識すると、勉強の効率が上がるのもわかった。
 それなら、と毎日協力して、あいつが覚えようとすること全部、俺自身の力で記憶しようと努力した。
 身体はどのように動いているのか、その細部まで綿密に。 膨大な小説の文字列も、一字一句記憶して後で思い返せるように。
 まぁ、全部完璧なんてことは到底難しいのだけど。
 それでも、あいつが学ぶことを一緒に学ぶ日々は楽しかった。

 俺にとって唯一の不満は、あいつの交流が狭すぎることだ。
 誰と話しても似たような素っ気無い対応。それを気味悪がっていじめの対象にされようと、どうとでも対処してしまうし、全て無視する。
 次第に他人から居ないものとして扱われる。話しかけるのは一部の物好きだけ。
 その原因は、あいつの思想だ。
 自分にとって大切なモノ以外の全てをどうでもいいものだと認識しており、周囲への対応がおざなりになっている。
 結果、周りの人間たちと互いに不干渉を貫いている。
 端的に言うと、他者に対する興味関心が0か100しかないのだ。
 俺からすると、それは酷く歪に思えた。
 何故、その100を他の人にも分けてやれないのかと。
 どれだけ考えてもあいつには伝わらないし、頭の中を覗けるわけでもないから、何を考えてそうしているのかもわからないし。
 だから、そのうち気にするのをやめたけど。

 そうした生活を送っていたある日、あいつの行動に違和感が出始めた。
 落陽明松の鍛錬を一人でも進めるようになったのだ。
 制御ではなく、鍛錬。神秘を洗練させるための行動。
 それが何に繋がるのか、俺はよく知っている。あいつはどうだろう。
 何の意図をもっているのか理解できないまま、次は資料漁りを始めた。
 白亜への質問から、それの検証・調査まで、全て一人で。
 それらがぱたりと止んだ翌日、あいつは白亜に聞いたのだ。

『俺の。『不藤識』としての寿命は、いつなんだ?』

――と。

 その時に感じた感情は、初めて抱いたもので。
 人はそれを、”怒り”と呼ぶのだろう。


――――――――――――


「俺の。『不藤識』としての寿命は、いつなんだ?」

 と問いかけて、瞬きを何回か挟んだ後。
 急に、落陽明松が起動した。
 右腕が燃え上がる。落陽明松によって発露した熱は、自分で吸い取れるわけではないので。
 一度捨てたものは、回収できないので。耐性なんて、あるはずもなくて。


「あ”、」
「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!?」



 熱い――
 熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い!!!
 生来の熱さに対する耐性も意味をなさない、対象を焼き焦がす神秘。
 苦しい。ただひたすらに苦しい。
 すぐさま短刀を手放したけれど、腕の熱は全く収まらなくて――



「まだ制御は浅いか」




 次に瞬きをした時、己を焼く焔は消え去った。
 痛みは残っている。まだ肌が少しひりひりするけど。
 どうやら、一難は去ったようだ。

「これでは間に合うかもわからぬ」
「識よ。其方の寿命は、もってあと3年だ」


 だが、人生の命題が消えたわけではない。
 自分の人生に、短い期間で結論をつけなくてはならない。
 その現実が事実であることを知った。

「……其方も大概よな」
「何故淡泊な言葉を返すのか」


 どうしたってそうなる。
 いつ死んでもいいように生きてきたつもりだ。
 自分の席が最初からなかったことなんて、薄々察していたつもりだ。
 だから、淡泊だと指摘を受けても。

――そっか。

 何も、思わなかった。
 父母と会えなくなるのは、ちょっとだけ寂しいかも。
 映画をこれ以上見れなくなるのは、ちょっとだけつまらないかも。
 でも、本来生きるべき彼が無事に生きてくれるのなら、別にそれでもかまわなかった。

 本当に、どうでもよかった・・・・・・・・

「……」


 白亜には悪いけど、それ以上の感情なんてないのだ。
 これは、仕方のないことだから。
 どうしろと言われても、どうしようもないのだ。

――この虚無が終わるのが、何よりも嬉しいことだから。


――――――――――――


――んなバカな話があるか!

 全身全霊で叫んだ。
 言葉は届かない。音にならないし、心は伝わらない。
 それでも、怒りに身を任せ、確かに叫んだ。
 その結果が、自身という神秘の暴走に繋がってしまったけど。

 許せなかった。
 元より契約を結んだのは自分だ。
 生きたいという願いに従って、言われるがままに。
 そんな昔の自分を恥じた。ただ、悔しい。
 こうなるとわかっていたのなら、もっとやり方を変えていたはずなのに。

 あいつは自分の将来に絶望して、自分ではない誰かの未来に希望を抱いている。
 そうならざるを得ない環境にしたのは、誰か。
 決まってる、俺と白亜の二人だ。罪があるのは、この二人だ。

 どうしたらこの罪を償える?
 どうしたらあの命を救える?

 何も思い浮かばない。
 俺たちが別れて生きる方法なんて知らない。白亜だって同じだ。
 そうできるなら、最初からそのつもりで動いていただろう。
 行き詰まりの世界。分岐路は二つ。
 俺か、あいつか。二つに一つ。
 それ以外に選択肢がない。間に合わない。

 大体白亜がスパルタ教育してたのも悪い。
 何より落陽明松の制御が最優先だったとはいえ、その苦しみを背負ったのは俺ではなくあいつだ。
 必要なことだったから、尚性質が悪い。

 俺はどうすればいい。
 生きたい。俺は、まだ生きていたい。
 でも、これを背負ったまま生きる覚悟がまだない。
 今のままのあいつに席を譲ったところで、破滅しかないのもわかっている。
 でも、この罪の償い方を。席を譲るか、あいつの分まで全部背負う以外に知らない。
 何も思いつかない。だというのに、決意は固まらない。

 でも。
 もしも、あいつが生きたいと願うようになったのなら。
 そう思えるほどの、希望を得たのなら。
 その時は――


――――――――――――


 不藤識の反応は、ある程度想像していたものではあったが。
 どうやら、予想以上に聡明で、予想以上に愚直で、予想以上に壊れていた様子で。

「だが、これで不藤識が生き残る道は潰えた」
「後は、不知火京介がこれを受け入れられるかどうかであるが」


「それも含めて、当初の予定通りであろう」


「問題は、この後」
「学徒となり、どう変化するか……」



 吾の膝元から離れた結果、どのような変化が起こってしまうのか。
 それだけは、吾にも想像つかんことよな。