RECORD

Eno.107 芟花萌花の記録

𝑨 𝒏𝒆𝒘 𝒍𝒊𝒇𝒆, 𝒃𝒖𝒕 𝒘𝒊𝒕𝒉 𝒎𝒚 𝒃𝒓𝒐𝒕𝒉𝒆𝒓 𝒃𝒚 𝒎𝒚 𝒔𝒊𝒅𝒆.

電車が静かに揺れている。
窓の外を、見知らぬ景色が流れてゆく。


『もうすぐつくよ~🐰』




たぷたぷ。送信。…既読を確認。
はやいなあ、なんて、つい口許が弛んでしまう。
幸い、隣の席には誰もいない。慌てて引き締める必要はなさそうだ。
そうやってほんのり顔を綻ばせたまま、返信の届く画面を見下ろしている。

3月、末日。
電車は、北摩テクノポリスへと向かっている。
学園都市と銘打ったその街で、この4月からは新生活だ。通う高校は、中高一貫なんだとか。
そんな環境で馴染めるだろうかとか、友達を作ることができるかだろうかとか、そんな不安が少しもないわけじゃないのだけれど。


「たのしみだなあ……」




新しい土地。新しい学校。
北摩に越すと決めたときから、少しずつこの気持ちは膨れていった。
少しも不安がないわけじゃない。ひとりぼっちなら、もっと心持ちは違っていたかもしれない。

けれど。


「喜んでくれるといいな、カップケーキ」




出発の前夜、さすがにあんまり手の込んだものを作ることはできなかった。
それでも、アイシングやアラザンなんかで飾り付け、見てくれだけはちょっぴり豪華にしたつもりだ。
中学生になってからも、たくさん、いろんなお菓子を作ってきた。
その甲斐あってか、こういう小手先で誤魔化すようなワザもたくさん身につけているというわけだ。

なんて、そんなふうに手荷物の中身にあわく思いを寄せた頃、目的の駅の名前が車内に響く。
現金なもので、そうなって急に鼓動が跳ね出すのが手に取るようにわかってしまった。
小さく呼吸を整えて、努めて落ち着き、立ち上がる。

不安。そして確かな高揚。総じて、これは緊張というやつかもしれない。
カップケーキ入りの手荷物と一緒に、それらを連れてホームへ降りる。
そうしてそのまま、改札を、人の流れに沿うように、ICカードの音立てて潜ってゆく。
誰かとぶつからないように。カップケーキが潰れないように。…そんなことにだけ、ちょっと、いやかなり気を使って。

たか、たか。
心做しか歩調が早まる。目当ての青年の姿を見つけたからだ。
彼がいなければ、此度の引っ越しの実現は難しかったかもしれない。
そもそもこの街の高校に通うことを決めたのだって、彼と相談を重ねた末の話であって。
こと住む場所に至っては、彼の借りている部屋に転がりこもうとしているわけで。

新しい土地。新しい学校。
不安と期待の入り乱れる、新生活が待っている。
けれど決してひとりじゃない。顔を見て抱く安堵は、期待や不安や緊張を大きく上回った。
どうやら向こうもこちらに気付いている。さてどっちが先に気付いただろうねなんて、そんなこと証明しようもないけれども。

小さく、顔の横で手なんか振って。


「―――おまたせ、兄さん」




メッセや電話は度々交わしていたけれど。
兄―――芟花艾と面と向かって言葉を交わすのは、これが久し振りのことだった。