RECORD

Eno.896 百堂 巡の記録

s10.化けの皮

「ーーなんだァ、こりゃ」

思わずと言った調子で化け狸の講師がそう零したのは、もうじき塾に辿り着こうという道中でのことだった。
いくぶん雑な化け方をしたせいでまるみの残った片手には表で寄ったコンビニの袋が提げられていて、化け狸が足を止めた拍子にがさりとひとつ音を立てる。

コンクリートで舗装された道に、獣の姿をした怪奇たちの躯が点々と落ちていた。

夕焼けとも朝焼けともつかない色合いの空の色を口に入れたカーブミラーが、奇妙な色の反射光を灰色の地面やぴくりとも動かない毛皮の塊の上に塗りたくっている。
獣仲間としてはあまり気分のいい光景ではなかったが、この辺りではよくある光景だ。特にここ最近は暴れものの怪奇たちが多い。表の方からやって来た人間たちが人面犬や猫又を吹き飛ばしているのだって見たことがあったし、その時も生徒が巻き込まれていないかひやひやした程度のものだった。

化け狸が目を向けていたのは、獣ではない方。
何もかもが身動きを忘れたようなその場所の中心には、黒髪の女が立っていた。

からんら、とその手元で誘り火が揺れる。

空ののっぺりしたオレンジ色が目につく世界にあって、羽織の紺と赤はなお鮮やかだ。

声をかけるか、無視して通り過ぎるか。
ビニール袋を持っていない方の手をポケットに突っこみながら数秒思案を巡らせて、やがて化け狸はおもむろに口を開けた。

「何してんだァ、三代目」
「あら」

三代目。
そう呼ばれた女は穏やかそうな面立ちを化け狸の方へと向ける。くるりと視線を向けた拍子に、そのふたつの眼窩に収まっていた警告標識が剥がれ落ちるように色を変えた。
人間ならば二度見では済まない変遷を、けれど化け狸は気にすることもなく、散らばる怪奇たちを踏まないように避けながらのしのしと女へ歩み寄る。
化け狸が目の前で立ち止まった時には、首を傾げる女の双眸には安全地帯を示す青色の看板が収まっていた。

「何って、うーん……練習?」
「何の」
「荒事の。ほら、最近お仕事も増えたから。少しは護る以外のことも覚えておかなくちゃ」

つまるところ、この死屍累々は練習台であったらしい。
よりによって"三代目"と喧嘩したらそりゃこうなるよなァ、と化け狸は若干の哀れみを含んだ目線を道路に投げた。喧嘩では済まない気もするがまあそこはそれ。いい感じに成仏してほしい。

「アンタその時が一番血気盛んだもんなァ」
「やだ恥ずかしい。別に進んで喧嘩したことなんて無いわよ、そういう……噂が多かっただけで」
「噂が真になる"センドウさん"がなーに言ってやがる」
「もう」

先代塾長ーーとは名ばかりの、同一人物。
婦人に血気盛んなんて言わないで頂戴、などと笑っている女がへたくれた金色の髪の男とイコールで繋げられるものだとは表世界の存在は思いもつくまい。裏世界の怪奇たちですらついていけないと視線を明後日の方に向けてしまいがちだ。
記憶は共通。
人格は別個。
ただし、存在はひとつ。
実際のところ、化け狸もその辺の解釈はよく分からない。聞いたとて分かるものでもないのだと思っている。

「その見た目で塾戻ったら生徒が仰天すんぞ」
「そうねえ。ーーまあ、それもそれで面白そうですけど」

チャンネルでも切り替えたように女の声が低くなる。
羽織りの襟元を軽く直して、あっさりと四代目塾長の皮を被り直した惑わし神は灯りを持ち直した。