RECORD
Eno.120 纏井 叶映の記録
【R】eflection
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目。眉。口。耳。髪。前髪がわずか伸びた。そろそろカットに行った方がいい。
「お前は纏井叶映。12月6日産まれ。O型」
-
目。眉。鼻。口。耳。髪。少し隈が増えた気がする。眠剤の変更を検討する。
「お前は纏井叶映。家族構成は義父、義母、妹」
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目。眉。鼻。口。耳。髪。戦闘中の生傷が目立つ。こっそり燃やせそうなものをまた探さないといけない。
「お前は纏井叶映。所属組織の配置変更でこの街に来た。今年度4月より束都大学経済学部へ編入」
-
目。眉。鼻。口。耳。髪、お前は、
⬛︎
「...お前は纏井叶映...」
洗面台にライトがつかないことを知ったのは引っ越してきてからだった。
多少焦りはしたものの、百均とネット検索のおかげで今もこうしてルーティンをこなすことができるようになった。
鏡の前に経つ。台に手をついて覗き込む。
「...お前は纏井叶映...」
帰りしなにまず被る水は、水垢離というより気付けの意味合いが大きい。
今日あった良いことも、悪いことも、ここを通る前に一度忘れる必要がある。さもなくば正確な判断はできない。
「...お前は纏井叶映...」
目。眉。鼻。口。耳。髪。人が人を見る時にまず視認する顔の構成要素。
鏡越しに見る。今朝の状態をどこまで崩さずにいられたか。理想形を保っていられたか。
自分は、皆にとって好ましい『自分』であれているか。
......周到に見回して、最後に目に戻ってくる。鏡の中の自分と目が合った。
「...」
「はは」
「.....酷い顔」
呟いてようやく、無意識に続けていた台詞が途切れたことに気づく。
おかしくてつい笑ってしまうと、鏡の向こうの自分も口を歪めている。捕まったこそ泥のような面をしてる、と他人事みたいに思った。
︎⬛︎
鏡を使った自己暗示の応用を勧められ、この儀式を初めてもう7年くらいになる。本来の実験では、鏡越しに『お前は誰だ』と問い続けることで被験者は狂ってしまったのだったか。
だから君は逆をするのだ、己を強く認識することで自我の手綱を握るのだとあの人は言った。
効果の程は──ある、と思う。当時からすれば自我も神秘も随分扱いやすくなった。が、他の訓練の分も考えるとどこまでが儀式の効果かはわからない。
「......はあ...」
通常業務と学業もあるところに『焼却業務』が戻ってきて、最近帰ってすぐは洗面台の前で暫く座り込んでしまうようになった。
掃除のされていないフローリングはベタついて、ざらつくゴミだか砂だかが張り付いて蟠っている。
汚い。でも、どうせ他の場所も似たようなものだから、然程気にはならない。
「...」
壁に背中を預けて、端末を開く。ここで溜まった通知を順に返していくのがここ最近の習慣だった。
たぐる、たぐる。上から順に返事を返していく。
高校時代の友人にとって、纏井叶映は気の置けない仲良しグループのムードメーカーだ。
卒業後入った会社が合わないという愚痴には、
「...『まだ転職してなかったのウケる笑今度帰った時飲も!』...」
彼は特に解決策の提示は求めていない。文面は削り、常にあの頃と同じテンションを維持する。まだ変わらないものがあるのだと安心させるために。
地元の先輩にとって、纏井叶映は少しばかり頭が回るサークルの後輩だ。
友人の出産祝いに悩んでいると聞けば、
「...『おめでとうございます!服や食器は親御さんの趣味があるので、安全なおもちゃなんかどうかなって』...」
彼が自分に声をかけるのは助けが欲しい時だ。送る情報は正しく、その上で彼に選ぶ余地を残す。結局は自分で選びたい人だから。
...母にとって、纏井叶映はいつまでも手のかかる息子だ。
また暮らしぶりを心配する連絡。ちゃんと朝起きれているか、なんて他愛のない口実には、
「...『ちゃんと起きてる 目覚まし時計5個ぐらいかけてるし 遅刻とかしてないし』...」
この場合は、安心と不安を両方与えるのがキモだ。意外と子供の変化に敏感な人だから、変化を見せるのは少しづつにした方がいい。もう、二度と泣かせたくなんかない。
あの人にとってはこう、この人にとってはこう。皆、纏井叶映に各々の見たいものを見る。
よくありふれた事だけど──自分にとってそれは、なくてはならないもの。ひとつでも多く遂行すべき、人生の指標のようなもの。
何故そうするのか。皆が好きだから、喜んでもらえるから、その方が上手く話が回るから。
それ以上に──
「.........」
あるところで、サーフの画面のスクロールが止まる。
...こちらに来てから親しくなった後輩。会う度、陽だまりのような笑顔を向けてくれる彼。
彼にとっての纏井叶映は、「頼れる、かっこいい先輩」だ。
──7月13日の日曜日、14時に。
君のやりたいように予定を決めてくれと言って。君の好きを見せてくれと言って。責任を取れるつもりで、頼ってくれ、なんて言って交わした約束を。
...今から、断らねばいけない。
「...」
今、裏世界で向き合っている案件は急を要していて、明日にも動きそうな事態に備えないといけなくて、
(かっこいい先輩は、こんなにも簡単に約束を破るものだろうか。あの子の内に近づいておいて?)
頼ってくれる人もいて、助けねばならない子がいて、そも、任せてくれと言ったのも自分で、
(ただでさえ上手くいっていないのに、折角あんなに親しくしてくれているのに!)
だから大人として、個人として、この立場において、優先すべきは絶対にこちらで、
(そんな事は、許されない)
「...『ごめん、今日のことでちょっといい?』
...ッゔぇ、ぅぐ......!......っ」
切り出した文面を送っただけで、後悔で胃液が込み上げそうになる。咄嗟に取り消そうとして指が滑った。
しばらく前の履歴に遡ったそこで、液晶の一面に現れたものは。
「.................. うえっ...」
みっともない体育座りで、庇うように目を覆った。
知っている。本当は。
別に、ここで約束の日を改めて貰ったところで許してもらえるだろうこと。
丁寧に説明すれば、きっと大した傷にならずに済むこと。
いくらここで苦しもうとも、ただの一人相撲なことも。
分かっているのに。なんで、一言伝えるだけのことができないんだろう。
「...ない.........」
「......なきゃ、......ない.........」
叶えなきゃ。
みんなの望む俺を叶えなきゃ、
「生きてていい、訳がない............」
取り落とした端末。続きが打てない。
液晶には彼が撮ってくれた、かっこいい先輩の、『自分』。
火と煤の匂いが満ちている。
⬛︎
なあ、詰め込みが過ぎたんじゃないのかい。普段はも少しマシだろうに、あんなナリで獄卒のお役目を果たせるものかよ。
気にするな、主も考えあっての事だろう。

目。眉。口。耳。髪。前髪がわずか伸びた。そろそろカットに行った方がいい。
「お前は纏井叶映。12月6日産まれ。O型」
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目。眉。鼻。口。耳。髪。少し隈が増えた気がする。眠剤の変更を検討する。
「お前は纏井叶映。家族構成は義父、義母、妹」
-
目。眉。鼻。口。耳。髪。戦闘中の生傷が目立つ。こっそり燃やせそうなものをまた探さないといけない。
「お前は纏井叶映。所属組織の配置変更でこの街に来た。今年度4月より束都大学経済学部へ編入」
-
目。眉。鼻。口。耳。髪、お前は、
⬛︎
「...お前は纏井叶映...」
洗面台にライトがつかないことを知ったのは引っ越してきてからだった。
多少焦りはしたものの、百均とネット検索のおかげで今もこうしてルーティンをこなすことができるようになった。
鏡の前に経つ。台に手をついて覗き込む。
「...お前は纏井叶映...」
帰りしなにまず被る水は、水垢離というより気付けの意味合いが大きい。
今日あった良いことも、悪いことも、ここを通る前に一度忘れる必要がある。さもなくば正確な判断はできない。
「...お前は纏井叶映...」
目。眉。鼻。口。耳。髪。人が人を見る時にまず視認する顔の構成要素。
鏡越しに見る。今朝の状態をどこまで崩さずにいられたか。理想形を保っていられたか。
自分は、皆にとって好ましい『自分』であれているか。
......周到に見回して、最後に目に戻ってくる。鏡の中の自分と目が合った。
「...」
「はは」
「.....酷い顔」
呟いてようやく、無意識に続けていた台詞が途切れたことに気づく。
おかしくてつい笑ってしまうと、鏡の向こうの自分も口を歪めている。捕まったこそ泥のような面をしてる、と他人事みたいに思った。
︎⬛︎
鏡を使った自己暗示の応用を勧められ、この儀式を初めてもう7年くらいになる。本来の実験では、鏡越しに『お前は誰だ』と問い続けることで被験者は狂ってしまったのだったか。
だから君は逆をするのだ、己を強く認識することで自我の手綱を握るのだとあの人は言った。
効果の程は──ある、と思う。当時からすれば自我も神秘も随分扱いやすくなった。が、他の訓練の分も考えるとどこまでが儀式の効果かはわからない。
「......はあ...」
通常業務と学業もあるところに『焼却業務』が戻ってきて、最近帰ってすぐは洗面台の前で暫く座り込んでしまうようになった。
掃除のされていないフローリングはベタついて、ざらつくゴミだか砂だかが張り付いて蟠っている。
汚い。でも、どうせ他の場所も似たようなものだから、然程気にはならない。
「...」
壁に背中を預けて、端末を開く。ここで溜まった通知を順に返していくのがここ最近の習慣だった。
たぐる、たぐる。上から順に返事を返していく。
高校時代の友人にとって、纏井叶映は気の置けない仲良しグループのムードメーカーだ。
卒業後入った会社が合わないという愚痴には、
「...『まだ転職してなかったのウケる笑今度帰った時飲も!』...」
彼は特に解決策の提示は求めていない。文面は削り、常にあの頃と同じテンションを維持する。まだ変わらないものがあるのだと安心させるために。
地元の先輩にとって、纏井叶映は少しばかり頭が回るサークルの後輩だ。
友人の出産祝いに悩んでいると聞けば、
「...『おめでとうございます!服や食器は親御さんの趣味があるので、安全なおもちゃなんかどうかなって』...」
彼が自分に声をかけるのは助けが欲しい時だ。送る情報は正しく、その上で彼に選ぶ余地を残す。結局は自分で選びたい人だから。
...母にとって、纏井叶映はいつまでも手のかかる息子だ。
また暮らしぶりを心配する連絡。ちゃんと朝起きれているか、なんて他愛のない口実には、
「...『ちゃんと起きてる 目覚まし時計5個ぐらいかけてるし 遅刻とかしてないし』...」
この場合は、安心と不安を両方与えるのがキモだ。意外と子供の変化に敏感な人だから、変化を見せるのは少しづつにした方がいい。もう、二度と泣かせたくなんかない。
あの人にとってはこう、この人にとってはこう。皆、纏井叶映に各々の見たいものを見る。
よくありふれた事だけど──自分にとってそれは、なくてはならないもの。ひとつでも多く遂行すべき、人生の指標のようなもの。
何故そうするのか。皆が好きだから、喜んでもらえるから、その方が上手く話が回るから。
それ以上に──
「.........」
あるところで、サーフの画面のスクロールが止まる。
...こちらに来てから親しくなった後輩。会う度、陽だまりのような笑顔を向けてくれる彼。
彼にとっての纏井叶映は、「頼れる、かっこいい先輩」だ。
──7月13日の日曜日、14時に。
君のやりたいように予定を決めてくれと言って。君の好きを見せてくれと言って。責任を取れるつもりで、頼ってくれ、なんて言って交わした約束を。
...今から、断らねばいけない。
「...」
今、裏世界で向き合っている案件は急を要していて、明日にも動きそうな事態に備えないといけなくて、
(かっこいい先輩は、こんなにも簡単に約束を破るものだろうか。あの子の内に近づいておいて?)
頼ってくれる人もいて、助けねばならない子がいて、そも、任せてくれと言ったのも自分で、
(ただでさえ上手くいっていないのに、折角あんなに親しくしてくれているのに!)
だから大人として、個人として、この立場において、優先すべきは絶対にこちらで、
(そんな事は、許されない)
「...『ごめん、今日のことでちょっといい?』
...ッゔぇ、ぅぐ......!......っ」
切り出した文面を送っただけで、後悔で胃液が込み上げそうになる。咄嗟に取り消そうとして指が滑った。
しばらく前の履歴に遡ったそこで、液晶の一面に現れたものは。
「.................. うえっ...」
みっともない体育座りで、庇うように目を覆った。
知っている。本当は。
別に、ここで約束の日を改めて貰ったところで許してもらえるだろうこと。
丁寧に説明すれば、きっと大した傷にならずに済むこと。
いくらここで苦しもうとも、ただの一人相撲なことも。
分かっているのに。なんで、一言伝えるだけのことができないんだろう。
「...ない.........」
「......なきゃ、......ない.........」
叶えなきゃ。
みんなの望む俺を叶えなきゃ、
「生きてていい、訳がない............」
取り落とした端末。続きが打てない。
液晶には彼が撮ってくれた、かっこいい先輩の、『自分』。
火と煤の匂いが満ちている。
⬛︎
なあ、詰め込みが過ぎたんじゃないのかい。普段はも少しマシだろうに、あんなナリで獄卒のお役目を果たせるものかよ。
気にするな、主も考えあっての事だろう。

暗い部屋の中。正二十面体の置物のどこかから、かちりと音がした。