RECORD

Eno.707 随 意の記録

3.[逆]監視対象115との対話ログ20250728(抜粋)

「あなたのその力は、決して人に見せてはいけないの。
先生にも、お友達にも。親戚のおじちゃんおばちゃんにも、妹にも、お父さんにもよ」

「どうして? お父さんにもだめなの?」

「だめよ。それはゆうちゃんとママだけの秘密。
もし皆がゆうちゃんの得意技を知ってしまったら、羨ましすぎて、ゆうちゃんのことを虐めてしまうかもしれないわ」

「え、やだよ。私いじめられたくない」

「そうでしょう? だから秘密なの。自分でその力を使うのもだめ。偶然何かがみえちゃっても全部無視して、普通の女の子になるの。
全部忘れて、普通に生きるのよ」

「普通……」

「普通。普通の子はね、『少し先の未来が見えたりはしない』の。それが一番幸せなのよ」

▼△

 私は多分“未来が見える”んじゃなくて。皆よりも少しだけ、過去を生きてるんじゃないかな。
 ママは私の力を、皆が嫉妬するモノだって思ってたみたいだけど。
 望んでもいないのにいつの間にか私の中にあったこの力のせいで、私の“今”はこんなに味気ない。一度見た映画みたいに心の動かない、陳腐な現実になっちゃった。
 つまらない。退屈。
 皆はあんなに楽しそうなのに。先の見えない未来があんなに面白そうなのに。
 どうして私だけがこうなんだろう。
 なんで私だけが、誰にもこの退屈を分かってもらえないまま抱え込んで生きていかなきゃいけないの?
 見えてる未来をなぞるだけの、決定論的人生。みんなの背中を見ながら、五歩後ろを歩いていく人生。
 ならいいでしょ、せめて。不当に奪われた人生の楽しさをちょっとでも取り返すくらい。それくらいしてもいいでしょ?
 そうじゃなきゃ不平等だよ。私はなにも悪いことしてないのに。


 2025年、夏。
 テレビの週間天気予報欄に並ぶ赤黒い気温表示を見ながら、私は朝ご飯を食べている。
 今日の献立は冷やご飯を温めたやつと、お味噌汁とさばみそ、お漬物。

ちなみに明日はトーストとベーコンエッグとサラダとミルク。


8月に入っても、週間気温にはあのグロいワインレッドが並ぶ。北摩市には一度軽く雨が降るけど、直ぐに止むし気温も下がらない。


 私はもう知ってる内容を、あたかも知らないかのように目で見て頭の中に入れる。ご飯は生きていくために必要だし、内容が分かっていても美味しいものは美味しい。
 だからご飯は好き。ママが作ってくれるし。
「ゆうちゃん~、ママ今日ちょっと早く出なくちゃいけないの~」
 洗面所の方から、少し申し訳なさそうな声が聞こえる。私は口の中のご飯を飲み込んで返事をする。「はいよー」と声を出してから、同じテーブルで朝ご飯を食べる妹へと視線を向けた。
「まみ」
「ん?」
 天気予報を見ながら顔をしかめていた妹が、視線は外さないまま返事をした。

陸上部は今日も屋外練習が短縮される。帰って来た後、まみはそれを私に愚痴る。


「車の鍵、和室にあるからいつものとこに置いといてあげて」
「ん」

車の鍵が見つからず、ママは少しイラついた様子で慌ただしく出かけていく。
帰って来た後、スピード違反でパトカーに捕まって切符を切られたと落ち込む。



 私は朝ご飯を食べ終え、妹のも一緒にシンクへと持っていてお皿を洗った。ダイニングのテーブルを拭き終えた妹が、リビングにおいておいた制服に着替えている。
 いつもの場所から車の鍵を拾い上げたお母さんが、機嫌よく行ってきますとドアを開けて出て行こうとする。
「ゆう。ちょっと」
 足を止めて、お母さんが私を呼んだ。
「なにー?」
「……使ってないよね?」
 目的語を飛ばした、意味の通らない質問。けれど、私とお母さんの間ではその質問の意味がもうずっと前から了解されている。
 だって、もう十何年も。
 お母さんは必ず、どんなことがあっても朝出かける前に、私にその質問をするから。
 神秘を使ってないよね? と。
「使ってないよ」
「そ。じゃあ大丈夫。行ってきまーす」

「まみ、帰りにキヨセストリートで卵買ってきてくれる?」
「卵? いいよ。お金は?」
「まみのバッグのポッケに入れてあるよ。おつりで好きなもの買っていいからね」
「お、りょっかい」

まみは卵を買い忘れる。


 私は自分のバッグのポケットにお金を入れておく。

「阿見原さん、おはようございますっ♪」
「あ、まにまちゃん。おはよう」
 登校中の道すがら、私は最近知り合った女の子と合流した。まにまこころちゃん。お人形さんみたいに小さくて、とっても礼儀正しい。
 私と同じ高校一年生で、クラスも同じ。私の通う学校には最近編入してきたのだけれど、あっという間にクラスの人気者になっていた。
 不思議な髪の色と瞳孔のかたちが、まるでファンタジー小説に出てくるキャラクターみたい。先生が言うには、先天性の病気の影響? らしい。ずっと入退院を繰り返してたんだけど、最近は病状が落ち着いたからみんなと同じように登校することを決めたんだって。
 ちょっと不思議で、非日常的な魅力のある女の子。まにまちゃんはいつも、私と一緒に登校してくれる。私はそれが、ちょっぴり嬉しい。
 ……でもなぜか、私はまにまちゃんの未来を見ることができない。

「阿見原さん。まにまに『私を助けなさい』って、ご命令してみませんか?」
 まにまちゃんは不意にそんなことを言った。
 夏の朝の陽射しの中。喧騒と蝉の声の中で、朗らかなその声はいやに克明に私の耳に響く。私は首をかしげる。
「私が、まにまちゃんに『助けろ』って命令するの? どうして?」
「なんだか、そうした方がいいかもな~って! 今のうちに♪」
 まにまちゃんの言葉は予め見ておくことができないから、私は彼女に虚を突かれがちだった。返す言葉を用意しておくことができないから、彼女に対してだけはいつものようにスムーズな言葉を返すことができない。
 訳が分からず、彼女の真意を考える。
「でも私、まにまちゃんに命令なんてできないよ。お友達だし、助けて欲しいことも特に思いつかないし……」
「そうですか?」
 まにまちゃんの態度は変わらない。不思議な問いかけと相反して、彼女はいつも明るく可愛く朗らかだ。
 念を押すように、最終確認をするように、しつこく彼女は問いかける。
「まにま、分かりますよ。
頼んでもいないのに勝手にやってきて、自分の人生がめちゃくちゃになる。そういう不平等が確かにこの世界にはあって、そういうのって本当に、腹が立ちますよね。
でも、それでも、私たちはヒトというコミュニティの中で“例外”になってはならない」

「まにまちゃん、何言ってるの……?」

「ルールを破ってはいけないよというお話です♪ 『知らなった』は通りませんし、事実知っていたでしょう?」
「阿見原さんが破ってきたルールに伴うリスクは、あなたが思っている以上に重たいものですよ、と伝えたくて。今ならまだギリギリ間に合う気がするので、こうしてお話したのですけれど……良いんですか? 本当に、まにまに命令すべきことはないですか?」

 少女は問う。その金色の瞳とバツ印の瞳孔が、私の過去も未来も余さず詳らかにしてしまうような深さで見つめてくる。怖かった。
 小さな少女の言葉が、言い知れぬほどの圧力を伴って私を圧し潰すかのようだった。
 彼女は一言も、私の未来視について言及しなかった。けれど、まにまちゃんが私の力についての話をしていることは明らかに思えた。
 どこでそれを知ったのか、そも彼女は何者なのか。まにまちゃんは、それを今の私に教えてくれるつもりはないようだった。せめて、彼女の未来が見られれば……。

 そこまで考えて、私はそういった方向に自然と考えが行く自分に気が付き目を見開いた。

 セミが鳴いていた。盛夏の焼き尽くすような暑さが、私たちを照らしていた。
「──なんにもないよ。助けて欲しいことも、命令したいこともないよ」
 私が絞り出した一言で、まにまちゃんはすいと私から目線を外した。
 小さくため息をついたような気配があった。
 そして、先ほどと何一つ変わらない朗らかな調子で、言う。

「あは。そですか。
行きましょう、阿見原さん。急がないと遅刻しちゃいますよっ」


 授業を受けている間、ずっとまにまちゃんの話していたことが頭から離れなかった。
 二限の数学は宿題の提出率が低く内容も酷かったため、先生がクラスに対して説教を始めた。私は予めそれを知っていたため、数学の宿題はことさら丁寧に仕上げていた。

次の社会は先生が急用で授業を行うことができず、自学の時間になる。なので課題はさらっと埋めるだけ埋めて、英語のテスト勉強に時間を割くことができた。
 お昼休憩の時間はクラスの男子が喧嘩を始めるため、教室にいない方がいい。放課後は隣のクラスの先生が重たい荷物を運ぶのに苦労しているため、それを手伝う。するとそれを喜んだ先生が進路指導の先生に私のことを良い子だと話してくれる。


 未来は全部分かっている。私は皆の五歩後ろを歩く。
 それをうまく使って何が悪い? 何がルール違反なのだろう。どうせ五歩後ろの世界には私ひとりぼっちだ。
『それでも、私たちはヒトというコミュニティの中で“例外”であってはならない』
 なんども、何度も小さな金髪の女の子が発した言葉が頭の中で反芻される。
 私が例外なのは私のせいじゃない。ただの偶然で、不可抗力だ。
 小さな子供のころから、ママが私に自分の力は秘密にしなさいと話したあの瞬間から悩み続けていたこと。
 数学の先生のお説教の声を聞き流しながら、私はあの金髪の少女が話したことに心の中で言い訳を積み重ねる。腹が立つ。そう、あの子も言っていた。腹が立つ。
 いいじゃないか。頼んでもいないのに私の人生はめちゃくちゃになった。せめてその原因を目一杯利用したっていいじゃないか。ひとつくらい良い思いをすることすら許されないの?
 何も悪事を働いてるわけじゃない。ちょっと日々の生活をスムーズに送れるよう、ズルをしてるだけ。誰にも迷惑は掛かってない。この国の法律だって、私を裁くことはできない。
 だって、悪いことはしていないんだから。

キヨセストリートに卵を買いに行くと、人ごみの向こうから走ってきた男の人にぶつかられる。
 男の人は、後から走ってくる何人かのスーツの男の人たちから逃げようとしている。彼は私を捕まえて連れて行こうとする。私は男の人に、すぐそこの駄菓子屋が最近空き家になったばかりで誰もいないし、一階のお店のシャッターは鍵が壊れていて中に忍び込めることを教える。
 私はやってきたスーツ姿の男たちに、こちらに走ってきた不審な男がいないかどうかを尋ねられる。
 「あっちに走っていきました」と見当違いな方向を指し、私は彼をかばう。
 少しして隠れていた男の人が空き家から出てきて、少しの間私を観察するように見つめる。「かなり強い神秘を帯びてるな」と彼は呟く。
 男の人は私にお札を何枚か握らせる。
 「さっきは助かった。どうかこのことは忘れて欲しい。それとも、一緒に来るか」と彼は問う。
 私は、少しの間迷う。
 そして、私は彼の手を取る。彼は、自分のことを“ダウザー”と名乗った。



「きゃっ……」
 人ごみの向こうから走ってきた男の人が、私に勢いよくぶつかった。

△▼

「俺たちは“ダウザー”だ。俺達と一緒に“神秘”を掘り当ててやろう」
 人通りの多い通りから離れ、私は彼が“裏”と呼んだ場所へとやってきた。さっきまで陽射しが明るく照っていたはずなのに、そこは真っ赤な西日が射しこむ少し肌寒い場所だった。
 見える景色はキヨセストリートと瓜二つなのに、細かい場所がすこしずつ違う。
 よろしくな、と笑うその表情は、何処にでもいる気のいいお兄さんという雰囲気だった。
「私、阿見原ゆうです。よろしくおねが──」

「──あは。」

 小さな手が、突然私の手を握った。ダウザーさんの手も同じように繋がれる。
 私は硬直した。あまりにも突然のことで、反応できるはずもない。それは隣に立つ男の人も同じようだった。高校生にしては小さく柔らかなその手は、けれど絶対に振りほどけないと思わせる力強さで私とダウザーさんを捕えている。
 随意は、その場に湧きだすように突然現れたようだった。未来視にも一切映らなかった筈の人物だった。
 だが少女は当然のようにその場にいる。男に話しかける甘い口調は、いつも私に話しかけるあの朗らかな様子とは全く違う。
 ずっしりと重たく妖しい、聴くだけで嫌な汗が流れるような冷たい声色だった。
「みーっけ。逃げちゃだめ、ですよ? 逃げられないの、分かってますよね♪」
「まにまちゃん、あなたは……」

「神秘管理局監視課、特別民間協力者の随意ですっ。
神秘対応案件A-115緊急インシデントの重要参考人として、お二人を管理局の人型怪奇用拘留サイト-0046へとお連れしますね。
また、私たち監視者には神秘乱用者が抵抗した場合の武力鎮圧が許可されています。暴れてもらっても大丈夫ですけど、その場合はちょっと痛くしますのでお覚悟くださいっ!」

 少女は口調を戻して、あくまで朗らかな様子で事務的な文言を諳んじた。
「う、クソっ……お前みたいなチビ一人、仲間を呼べばいくらでも……!」

「この可愛いおててを握りつぶされたいってんなら早くそう言えよ、クソテロリストがよ♡」



「がッ!?」
 まにまちゃんの拘束から抜け出そうとして暴れはじめたダウザーさんがびくりと身体を震わせ、くずおれるようにしてその場に蹲った。自由な方の手でまにまちゃんに握られた手をかばおうとするも、それは許されないことのようだった。
 まるで別人のように口調を荒げた少女を、私は見ていることしかできない。
 一瞬で鎮圧された男の人を一瞥し小さくため息をついて、まにまちゃんは私へと視線を向ける。

「阿見原さん。まにま、言いましたよね? 破ってきたルールに伴うリスクは、あなたが思っている以上に重たいものですよって。
まにまは、あなたに付けられた監視者、兼執行者です。あなたが未来視の神秘を乱用していることは、もうずっと前から管理局に把握されていました」
「……そんな。捕まっちゃうほど悪いことなの?」
「はい。知らなかったなんて言わせませんよ。あなたのお母様が、何度も何度もあなたに言い聞かせてきたはずです。まにまも警告しました。最後のチャンスもあげました。
それでも、あなたは使いました。なので、もう終わりです」

「私、どうなるの?」
「管理局の施設に収容管理されます。期限は無制限です」
「家族とか、学校には」
「会えませんし、通えません。生活上の必要最低限は保証されるので、ご安心ください。その他の質問は連行先の施設で、係員にどうぞ」

 まにまちゃんの言葉は、とても手続き的だった。
 そうか。彼女はきっと、これまでにも私みたいにズルをする人間を山ほど相手にしてきたのだろう。だから、私一人に特別感情を乱すこともない。
 お仕事。でも、その無機質さが今の私にとっては救いだった。
「ああ……そっか。私、やっと普通になれるんだね」
 私は、温度を喪った夕焼けの空を見上げる。一足先に夏が終わるような感覚があった。
 いつのまにかへたり込んでいた足を動かして立ち上がり、私はまにまちゃんを見つめる。金色の瞳とバツ印の瞳孔が、私への罰を告げている。
 夕焼けの向こうから、黒いトラックが走って来ていた。あの車がきっと、私を居るべき場所へ連れていくのだろう。まにまちゃんも首を動かして、やってくる迎えを見ている。

「あれに乗ればいいの?」
「はい」
「そっか」

 トラックに乗る前に、私はまにまちゃんと向き合った。
「どうして、使ってはいけないと言われた神秘を使うのですか?」
 まにまちゃんは口を開き、質問した。
 私は微笑み、答える。未来を見ずに人と会話するのは、とても怖いことだった。

「つまんないからだよ」