RECORD

Eno.1379 久瀬 あざみの記録

②ー③ー④

3ヶ月ぶりに降り立った故郷の駅のホーム。
電車のドアが開いた瞬間、むわりと肌を撫でたのは、
都会のコンクリートが吐き出す熱とは違う、土と緑の匂いが混じった生きた熱だった。
強すぎる日差しに少し眩暈を覚えながらも、
私の身体中の、ずっと張り詰めていた見えない糸が、ふっと音を立てて緩んでいくのが分かった。

耳に痛いほどだった電車の連結音や、ひっきりなしのアナウンス、人々の足音の洪水が嘘のよう。
ここでは、世界は優しい蝉時雨と、遠くで響く風鈴の音だけで満たされている。

ああ、やっぱり私は……こっちの方がいい。
情報の波に溺れそうになる北摩市よりも、
ひとつひとつの音や光、匂いを自分のペースで感じられるこの場所が、私の普通なんだ。

家に着くと、懐かしい畳の匂いが迎えてくれた。
でも、いつもなら「おかえり」と、作業着のままインクと接着剤の匂いをさせて顔を出すおじいちゃんの姿がない。

「おじいちゃんは?」
私の問いに、母が少しだけ視線を伏せて、
「夏風邪をこじらせちゃってね。少しだけ……入院してるのよ」と教えてくれた。
その瞬間、心臓が小さな石みたいに、きゅう、と固くなるのを感じた。

お母さんと一緒に向かった病院は、真っ白で、どこか現実感のない場所だった。
消毒液のツンとした匂いが鼻の奥を刺激する。
ガラス越しに見えたおじいちゃんは、いつもよりずっと小さく見えた。
でも私に気づくと、皺くちゃの顔をくしゃりとさせて、精一杯に笑ってくれた。
その笑顔が、かえって胸に痛かった。

いくら加齢というものがあるにせよ、ただの夏風邪でこんなに大事になるはずない……。
直感的な何か。嫌に確信めいた考えが頭を巡ってしまった。

病院からの帰り道、私はお母さんに頼んである場所に寄ってもらうことにした。
『久瀬模型店』
日差しで色褪せた看板。前面のガラスに貼られた日に焼けたプラモデルのポスター。
地元を離れる3ヶ月前に見たときよりもポスターのロボットは薄れているように思えた。
お母さんに頼んで借りた店の合鍵でお店のドアを開ける。
カラン、とドアについたベルが、少し寂しげな音を立てた。

一歩、足を踏み入れると、時間が止まったかのような空気が私を包んだ。
壁一面に天井に届くほど積み上げられたプラモデルの箱、箱、箱。
戦車、飛行機、お城、アニメのロボット。
そのパッケージアートを眺めているだけで、物語が溢れ出してきそうだ。

ガラスのショーケースの中には、おじいちゃんが丹精込めて作り上げた完成品が、誇らしげにライトを浴びている。
埃ひとつないそのガラスは、おじいちゃんの愛情そのものみたいだった。

作業台の上には、作りかけの零戦がそのままになっている。
細かな計器盤に筆を入れている途中だったのだろうか。
小さな筆先、何色も並んだ塗料の瓶、使い込まれて味の出た工具たち。
そのすべてが、主の帰りを静かに待っている。

ツン、と鼻をかすめるのは、プラスチックを溶かす接着剤の独特な匂いと、エナメル塗料の香り。
それに混じって、おじいちゃんがいつも飲んでいるインスタントコーヒーの焦げた匂いがする。
都会の香水や排気ガスの匂いと違って、この混じり合った匂いは、なぜか私の心を落ち着かせてくれる。

窓から差し込む西日が、空気中を舞う細かな埃をキラキラと金色に照らし出していた。
北摩市では、こういう小さな光の粒に気づく余裕なんてなかった。
ここにいるとざわついていた感情が、水面の波紋が消えるようにすうっと静かになっていく。
たくさんの物に囲まれているのに、少しも苦しくない。
ひとつひとつに物語と、作り手の想いが宿っているからかもしれない。

静かなこの空間で、細かなパーツと向き合い、ただひたすらに、自分の世界に没頭する。
それはきっと、私にとって何よりも贅沢で、幸せな時間なんだろう。

不意に、強い想いが込み上げてきた。

おじいちゃんが退院したら言ってみよう。
私も手伝いたい。ううん、違う。

このお店を、おじいちゃんの想いが詰まったこの大切な場所を。
私が、継ぎたい。

まだ16歳の私には、大それた夢かもしれない。
でも、この模型たちの静かな楽園でなら、私は、私らしく息ができる。
そんな確信が、胸の真ん中に温かい光を灯してくれた。