RECORD

Eno.14 卯日 蜜奈の記録

主にして母よ、毒の果よ

 

学校からの帰路。日々のルーティンとして、ぼうっと歩いていく。

束都の授業体験を受け始めて、そろそろ一か月になる。
空気感が違うな、と思ったのは多分、学連だけじゃなくて中学と高校にある壁を越えたからもあって。

馴染めるかどうか不安だったけど、一先ずはある程度気楽に過ごせるようになってきた。

ふと、ショーウィンドウを見る。
見ていたのはガラスの向こうの品物ではなく、ガラス──そこに写る自分。

手続きが済んでなくて、まだノーブル会の制服を着たままだ。
違う学連の子が授業を受けるのは珍しくないから、特段浮いてしまうことはなかった。

可愛いから気に入っているし、今学期ぐらいはこのままでもいいかな、なんて思って。

顔を見た。母譲りの赤い髪が飾る、垢抜けない困り顔。
高校になって突然束都の学校に通い出したのは、お母さんのやっていたような、
カメラに映るお仕事に憧れがあったからだった。

それに見合うだけの成長ができる自信は──正直、あまりない。
両親は喜んでくれた。あたしも、やりたいと思った。それで……それで?

他の悩みは殆ど消えてくれたのに。
夢を追う心に、それだけに対して、頭が追い付いていないような気がする。
いつも本で読むような甘い夢の数々は、あたしの現実をちょっと遠い距離まで旅立たせてしまっているのかもしれない。

背中を押してくれる都合のいいひとも、追いかけたくなるような二人も、いない。
だから、自分の足で、地に足付いた現実で、一歩一歩行かなくちゃならない。

そう。自分の足で、一度歩み始めた道だ。考える時間だってもう数年はある。
明日は、来月は、次の学期は……少しぐらい、もっと素敵な自分になれているはず。

そう信じよう、なんて思って──違和感に気づいた。
目の前に立つあたしが、ちょっと今の自分とは違う、ような。意識を向けてみると。


……あたしが、驚くあたしを見て驚いている。
鏡写しではない。その目があたしを見て、驚いたのだ!


それに気づいて。見間違いか、ガラスじゃなくてパネルなのか、
定まらぬ思考の中で、鏡面に触れようとしたとき───





          ────ガラスが音を立てて、割れた。












                        ぐわしゃん、





🍎


「ん……」

気が付くと、目の前には割れたショーウィンドウ。辺りはガラス片でいっぱいだ。

「───! ご、ごめんなさ」



さっと蒼褪めてお店の人に謝ろうとして、言葉が途中で止まる。異様な店内。
はっと振り返れば、知っているようで知らない街並み。

紫紺の空。燃ゆる夕陽。伸びる人影。
見たこともない標識。不自然に滲んだ看板。

お店の成り損ないが立ち並び、入り乱れてあたしを見下ろしている。


声も出なかった。夢でも見ているのだろうか?
思わず後退あとずさって、ぱり、と足元でいやに小気味いい音が割れ響く。

たっぷり立ち竦んでから、歩き始める。何一つ、知ってる通りでない街並みを。

帰り道を歩く。歩いている。……歩いているはずだ。
それなのに、何故かどんどん知らない風景になっていく。空は澱んだ朝焼け色だ。気味が悪い。


「はっ、……はっ、はぁっ、!」

半ば泣きそうになって走る。悪い夢なら覚めてほしい。
あたしは日常にいたはずなのだ。それなのに、此処は何処?どうしてこうなっている?
現実であってはいけないのに───なぜ、胸がこんなにも苦しいの?

そうしていると、どたばたした音……に紛れて、男の人達の声が聞こえてきた。

片方は少し掠れたハスキーボイス。気怠そうに声を張り上げていて。
もう片方は低くて甘く、けれどよく通る声で何やら怒っているような。

そんな二人が、路地(というにはひしゃげているが)の方で揉み合っている気がする。
少なくとも、今見ている景色と違って、知ってる言葉で、それだけでも酷く安心した。


けれど多分、少なくとも喧嘩はしている。なら近づいたら危ないのではないか?
そもそも何が起きてるのか全く分からないのだ、用心はするに越したことはない。

いやでも、男の人がふたり、そこで力いっぱい──恐らくは至近距離で──絡んでいる。
それこそいつもの街並みで見たことのない景色が、そこに広がっている。



 「…………………………」  

  危険     興味
  ──     ──
   L_________」
      △



決めた。声のする方に行こう。

いや、弁明させてほしい、冷静な方のあたし。これはただ趣味を優先したわけじゃなくて。

例え自分に危険が及ぶとしても、このまま一人で彷徨い続けるよりかはマシになる。
そうでないなら、正直、もうどうしたらいいか分からないのだ。


🍯


恐る恐る、路地を覗き込む。
声が近づいてきている。こっちに来ているみたいだ。

ったく、しぶといな……!いい加減大人しくしろって!」

「元はといえばテメエらが急に押しかけてくるからだろうが……!」

そんなやりとりの後、漸く彼らの姿が目に入って──息を呑んだ。

「押しかけてもなにも……顔合わせた矢先逃げるとか随分みっともなくなったもんだな……
 あれからさぞ煮え湯を飲まされたんでしょうね、兄貴分さんよお」


一人は胸倉を掴んで詰め寄る、片目隠れに黒マスクが色っぽい男の人。
荒っぽい仕草とは裏腹に言葉遣いは理知的で皮肉っぽく、正しく"大人の男"という感じがした。
それだけじゃなくて、艶かしい垂れ目に少し尖った八重歯が、彼という存在に遊びの余地を作っている。おかしな世界に齎された、好ましい情報の本流。

「どう考えても存在自体が面倒ごとだから逃げるに決まってるだろ~~が!
 俺様は物好きな弟分や飼い主を噛んだ小鳥どもとは違って賢く静かに暮らしてぇんだよ!」


もう一人は掴まれて尚青筋を浮かべる、刈り上げやギザギザの歯がなんともワイルドな男の人。
一見すると情けなくも見えるが、相手より逞しい身体に高い背は寧ろギャップ、三枚目的な魅力を感じさせてやまない。
鋭い三白眼は忙しなく周囲を見て、窮地を脱しようとする抜け目なさも窺える。あっちが欲張りセットならこちらは引き算の美学だ。


そこまで観察して、我に返る。いわゆる賢者モード……ではない。
朱色髪の方が肩を痛めてる、ように見えた。顔と上半身をちょっと引き攣らせるような。四十肩のお父さんも似たような仕草を見せることがある。

気付いてないのか頭が回ってないのか、緑髪の方が少し乱暴に胸倉を掴む手を離し、肩から倒れ込みそうになったのを見て───

「あっ、あ、だめっ!」


思わず、声が出て、手が伸びた。
元より話しかけるつもりだったからいいとして、ちょっと短絡的だったかもしれない。

案の定、二人の男が驚きながら此方を見て、

「あっつ」


片方は何故か肩を押さえて熱さを訴えていた。なんで?


「あ、ええと……」「……」

そして、重たい沈黙。少なくとも襲われないだけマシではあるが。
困っている様子を見るに、彼らもあまり事情を知ってはいないみたいだ。

……自分が入ってきて"男二人が気まずくなっている"ことにちょっと邪推をしないでもないが流石にそんなことを考えるのは危機感が無さすぎる、と思考が半回転したところに。

「ふ、ふたりとも~…… あれ?もう一人いる……」


今度は小柄な可愛らしい女の子が、スーツの人を連れてやってきたのだった。