RECORD

Eno.1379 久瀬 あざみの記録

②ー⑤ー⑥

8月16日 (土) 曇り

お盆の一日。朝から家の中は親戚が集まる準備で少しだけ浮き足立っていた。
線香の香りとお仏壇に供えられた瑞々しい果物の甘い匂いが混じり合っている。

午前中は、みんなでお墓参りへ。
坂道の途中にあるお寺の境内は、ぎらぎらした日差しが嘘のように涼しい風が吹き抜けていた。
たくさんのご先祖様が眠る場所。静かで、厳かで、でも怖くはない。
むしろ、大きな何かに守られているような、不思議な安心感があった。
綺麗に磨かれた墓石に刻まれた、たくさんの名前。
この連なりの先に、おじいちゃんがいて、お父さんがいて、そして私がいる。
そう思うと昨日芽生えたばかりの気持ちが、ただの思いつきではない、もっと根の深い、大切なものであるような気がした。

午後は久しぶりに会う従兄弟たちもやってきて、家の中が急に賑やかになる。
人の話し声、笑い声、テレビの音。
たくさんの音が一度に耳に飛び込んでくると、やっぱり少しだけ疲れてしまう。
私はそっと輪から離れて、台所でおばあちゃんの手伝いをすることにした。
きゅうりを切る規則正しい音、お煮しめの甘い香り。
ひとつのことに集中していると、周りの喧騒が遠のいて、心が落ち着く。

「あの子、なんだか少し大人っぽくなったんじゃないかい」
そんな親戚のおばさんの声が、ふすまの向こうから聞こえてきた。

北摩市に来てもう3ヶ月か4ヶ月か。
確かに色々なことがあった。もう覚えていない『記憶』も含めて色々な経験をした。
でも、そこでは将来の夢や目標というものは見つからなかった。
覚えてしまったのは、怪奇を殺す術。自分を殺すことの痛み。
そして神秘という普通の女の子として生きていく上で知らなくてもいいモノの扱いだけ。

私は大人になったんじゃない。
人々との交流の中で、大人にならざるを得なかっただけなのかもしれない。
だからきっと、たぶんだけど、まだ私は本当の意味で大人になってはいない。

夜、縁側でひとり、線香花火をした。
小さな火の玉がぱちぱちと儚い音を立てて、精一杯に光を放っている。
綺麗。でも、すぐに消えてしまう。

おじいちゃんのお店は、この花火みたいに、一瞬で消えてしまうようなものにしたくない。
ずっと誰かの心を照らし続ける、小さくても温かい灯火のような場所にしたい。
そんなことを暗い庭の向こうに広がる青白い星空空ノムコウに誓った。

8月18日 (月) 晴れ

あっという間に帰る日になってしまった。
荷物を詰め終えたボストンバッグが、やけに重く感じる。物理的な重さじゃない。
この家に置いていきたい私の心と、北摩市に持っていかなければならない現実の、その重さだ。

駅まで送ってくれる車に乗る前に、もう一度だけ、おじいちゃんのお店に寄ってもらった。
シャッターが下りた店の前で、ほんの少しだけ佇む。
このシャッターの向こうには私の宝物が眠っている。そう思うだけで胸が温かくなった。

「おじいちゃんによろしくね。お店、待ってるからって」
運転席のお父さんにそう言うと、お父さんは少し驚いた顔をして、でもすぐに優しく頷いてくれた。

電車のホームはUターンラッシュでごった返していた。
行きに感じた解放感とは真逆の、息苦しさ。
人の熱気、騒々しいアナウンス、いくつもの感情が渦巻いている気配。
無意識にぎゅっとイヤホンを耳に押し込んだ。

流れ始める景色。緑の田んぼが、低い山々が、だんだんとコンクリートの建物に変わっていく。
車窓に映る自分の顔が、どんどん無表情になっていくのが分かった。
ダメだ……また都会のノイズに心をすり減らされる自分に戻ってしまう。

そう思いかけた時、ふと一人暮らしをしているマンションに、作りかけのプラモデルがあったことを思い出した。
なんとなく買ってしまった、おじいちゃんもお父さんも好きなロボット作品の赤い機体。
なんでかエビやカニのような甲殻類に思えてしまうロボット。
まだ両足を組んだだけだ。両腕、胴体、頭、背中、武器。作るものはまだ残っている。

そうだ、私には目的がある。
ただ流されるように学校に通うんじゃない。
模型のこと、お店の経営のこと、知りたいこと、勉強したいことがたくさんある。
この喧騒は私の夢を叶えるために今は耐えなければいけない試練なんだ。
そう思った瞬間、今まで私を覆っていた薄い膜のような不安が、少しだけ晴れた気がした。

一人暮らしのマンションのドアを開ける。
しん、と静まり返った、無機質な空間。
実家の人の気配がする温かい静けさとは全く違う、空っぽの沈黙が胸に突き刺さる。

「私の居場所は北摩ここじゃない」

無意識に口をついて出てしまったのは、否定の言葉だった。
その後の運命を決めてしまうような、決意の言葉だった、

帰らなくちゃ。あの街へ。おじいちゃんのいるあの場所へ。
そう決めたら不思議とごちゃごちゃしていた頭の中が、すーっと澄み渡っていくのを感じた。

まずはお父さんとお母さんを説得しなくちゃ。
それから、転校の手続きのことも調べないと。引っ越しの準備も必要になる。
やるべきことはたくさんある。
でも、もう心は迷わない。
あの宝物が詰まったお店のシャッターを、ただ待つんじゃなくて、自分の手で開けるために。

私は地元に帰るんだ。
そしておじいちゃんのお店を、久瀬模型店を、継ぎたいんだ。

神秘なんて、裏世界なんて、怪奇なんて、そんなもの全てを捨て去って。
私は普通の女の子として、前を向いて生きていきたいんだ。