RECORD
Eno.120 纏井 叶映の記録
【I】nflammation
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まともに人の顔が見られなくなったのは、確か高校一年目が半ばを過ぎた頃で、ちょうど初めての彼女ができてすぐのことだったと思う。
相手を問わず、対象を正視すると起こるそれ。
おかげで恋人らしく振る舞うよりも、ふつうを装う方に気を割かねばならなくて。3人目に振られたあたりではだいぶ参っていた記憶がある。
参り具合としては、この神秘が発現した直後といい勝負だったかもしれない。
何故自分はこんな目に遭わねばならないのか。
幻視するほどにこんなものを望んでいるとでも言うのか。
いずれ、自分は相手を同じ目に遭わせるのではないか。
何故。どうして。怖い。
…漸く荒ぶる火の神秘を抑えられるようになって、表でまともに暮らせると思ったところにこれであったから、それはもう必要以上に効いた。
当時の自分は周囲に当たってばかりで、気をかけてくれる人々に大層迷惑をかけたものだ。
恵まれていたのだ、不相応な程に。
その最たる例が彼だった。
──どうしたんだい、そんなところで随分落ち込んで。
──ははあ、他人を見るとよくない風に見えると。
まあ、なってしまったものは仕方がないとしてだ。誰かに気づかれたかね?気づかれていないと。表立った被害もなく。
上等上等!中々上手くやれているじゃないか、纏井君。
不貞腐れた自分の隣にいつの間にか居て、勝手に事情を把握して、変わらぬ調子でペラペラ喋る。
勿論自分もそう見られていることは承知の上で──そんな人に、自分は確かこう返したんだっけ。
そんなことはない。上手くやれているというならば、自分の今のザマは何だ。
大事な人達に歪んだ視線を押し付けて、醜い欲を垂れ流して。
これでは今まで積上げたものも無意味だったのではないか。
──君ね。自分を許せないのはいいが、これまでの努力まで腐すのは頂けないぞ。
──考えてもみろ。本当に全て無駄なのだとしたら、今頃君の目の前の全ての人々は須らく灰になっているところだぞ。目の前の幻覚につられて、心を揺らしてね。
…それは、そうだけれど。
──なんなら話を聞くに、君は異常を他人に悟られすらしなかったのだろう?
さて、君が振られた理由は『恋人を嫌な目線で見る』からだったかな?
…それもそうかも、しれないが。
──納得したね?君は、君が努力し手にしたもので周囲を心身ともに守れているのさ。
今回は降って湧いた危機であったけれど…ちゃんと適切な行動を取り、大事な人を何も知らせぬままに助けて見せたんだ。それを誇りはすれど、どうして貶せって言うのかな。
──君は上手くやれている。上手くやれる自分になれている。
君が君を望む限り、君は、愛する人々のそばにいていいんだ。
ああ、もしも神仏が許さずとも、僕が許そうとも。
覚えている。彼は先に立ち上がって、わざわざ両手でもって引っ張りあげてくれようと。
──さあ、立ち給え。まずはなにか飲んで落ち着くとしよう。
…ああ。随分と調子のいいことを言ってきたものだ。
でも、いいのか。いいんだろうな。
他ならぬ彼が、ずっと近くで努力を見ていた彼がそう言ってくれるのが──なんだか、彼女ら当人から許されるよりも、ずっと救われる心地になってしまって。
嬉しくて。
己を忘れるくらい、嬉しくて。
きっと、きっと上手くいくんだって。
だから掴もうとした。
あの時、自分にだけ伸ばされたあなたの両腕を、
──火が。
幻にあらざる、本物の業火が。
ごう、 と。瞬きの間に覆い尽くして──
-
『──で、どうだったかね。半年ぶりの実家は』
「みんな変わりありませんでしたよ、社長。帰り際に菓子とかレトルトとか色々持たされましたけど…」
『里帰りとはそういうものだよ。やったじゃないか、一人暮らしの実績解除だ』
深夜の高速は閑散としている。帰省のUターンのピークも過ぎたようだが、想定外の長居を巻き返すとまでは行かなかった。
人気のない、トイレと自販機だけのパーキング。泊まり込みの車がポツポツとあるが、車内で電話する分には迷惑もかからない。
星のない空の下、建物の灯りと端末の照明だけがここの光の全てだ。
『ひと暴れの後ではあったが、他県への移動認可が取れて良かった良かった。感謝し給えよ、今回の弊社の功績分で宥めて騙くらかして何とか局に呑ませたんだから』
「…ありがとうございます。やはり、ひと月の経過観察では足りませんでしたね」
『そりゃあね。悪意の干渉によるものとはいえ暴走は暴走だ、向こうさんも今の3倍は調整期間を持ちたかったはずだよ。
なんて言ったって君であるからなあ…』
…今からひと月前、自分はある事件において大規模な神秘の暴走を許してしまった。
結果として死傷者や物品の損害は出なかったものの、今までの中でも最大級の範囲が灰と化したらしい。
そのため、事後の処置とその後の経過を見るため、ひと月の間設備のある裏の事務所で寝泊まりをしていたのだ。
性質上、必要最低限の外出は認められていたもののほぼ動けず。この直後に帰省など本来は言語道断、なのだが。
「…妹が生でランドセル背負うとこ、ようやく生で見れました」
『ああ 奏伝 ちゃんか。あの子ももうそんな歳になったのだね。
立派なものだよ。彼女も、傍で堪えていた君も』
「………はい」
指摘された途端に、胸中はざらついて思考は重くなる。
あの子が生まれたのは己に神秘が宿った次の年。実に6年以上の月日を、灰にまみれて暮らしているのか。
それに。
『まだ、顔は見られないかい?』
「…横向いてるとこを、5秒くらい…それからは、駄目でした」
『そうかそうか。──念の為聞くが、見えるものは変わらないね?』
「はい。
…… あの子の顔の端から火がついて…段々、灰になって崩れて、それから、 」
『 もういい、 不用意に聞いて悪かった。
それ以上思い出すのはやめなさい。もうしばらく運転するのだろう』
向こうの声も多少硬くなっている。珍しい、と沈む気分と別に軽い驚きも生まれる。てっきりいつも通り、この程度なんでもないように済ますとばかり。
ちょっぴり面白くて──少しだけ気が紛れた。
「大丈夫ですよ。こんなんで今更崩れませんから…
ともあれ、今回の定期確認としてはこんなもんですかね。この後は2時間後…までには帰ってると思うんですけど、その場合は車降りたタイミングですか」
『それで頼むよ。
局の換装チームに車預けたら、面倒だがその後は自力で表に帰るように。走行中のバイタルデータの提出は明日でいい』
「了解です…その」
一々やることが多いが仕方ない。本当ならば免許すら難しかったところを、様々な理屈を無理矢理こじつけて取れるようにして貰ったのだから。
少しでも普通の暮らしができるように。どれもこれも、あなたがくれたものだ。
『何かね、気になることでもあったかな』
「その、」
言っていない問題が実はあったか?違う。あれば隠さず先に言っている。
手続きが不満なのか?違う。あったとて、必要性はちゃんと理解している。
先の事件の鉄火場に、騙す形で後輩を巻き込んだことか?違う。今日に至るまで、何度もその話はした。毎度こちらが言い負かされていたけれど。
では、何か。
「…なんでもないです」
言えない。否、どうせ願ったとして叶いはしまい。
『そうかね?ならいいが。
では引き続き気をつけて帰るように…ああそうだ』
「なんです?」
『 お上はどうか知らんが。先の暴走、僕は君の非ではないと思っているよ。 指示を出したのは僕。唆したのは敵だ。
君はいつだって上手くやっているさ、気に病むのも程々にし給えよ』
…それだけ言い残して通話は切れた。
無音に戻った車内。画面を切り替えることもできず、ただ履歴の残る画面を眺めている。
やっぱりそうだ。
気づいていないわけがない、わかった上で言ってくれないんだ。
…なぜかを問うても、やっぱり答えては貰えないのだろうが。きっとそれが正しいのだろうな。
「──また」
あなたを焼いたあの日と同じだ。
「 また、叱って貰えなかった 」
⬛︎
確かにねえ。たった一言なのだし、別に言ってやってもいいんじゃあないかね。
『一切合切、貴様が全て悪いのだ』と?
馬鹿を言え、主も人だ。他人の慰撫に身を切るにも程度があろう。

まともに人の顔が見られなくなったのは、確か高校一年目が半ばを過ぎた頃で、ちょうど初めての彼女ができてすぐのことだったと思う。
相手を問わず、対象を正視すると起こるそれ。
おかげで恋人らしく振る舞うよりも、ふつうを装う方に気を割かねばならなくて。3人目に振られたあたりではだいぶ参っていた記憶がある。
参り具合としては、この神秘が発現した直後といい勝負だったかもしれない。
何故自分はこんな目に遭わねばならないのか。
幻視するほどにこんなものを望んでいるとでも言うのか。
いずれ、自分は相手を同じ目に遭わせるのではないか。
何故。どうして。怖い。
…漸く荒ぶる火の神秘を抑えられるようになって、表でまともに暮らせると思ったところにこれであったから、それはもう必要以上に効いた。
当時の自分は周囲に当たってばかりで、気をかけてくれる人々に大層迷惑をかけたものだ。
恵まれていたのだ、不相応な程に。
その最たる例が彼だった。
──どうしたんだい、そんなところで随分落ち込んで。
──ははあ、他人を見るとよくない風に見えると。
まあ、なってしまったものは仕方がないとしてだ。誰かに気づかれたかね?気づかれていないと。表立った被害もなく。
上等上等!中々上手くやれているじゃないか、纏井君。
不貞腐れた自分の隣にいつの間にか居て、勝手に事情を把握して、変わらぬ調子でペラペラ喋る。
勿論自分もそう見られていることは承知の上で──そんな人に、自分は確かこう返したんだっけ。
そんなことはない。上手くやれているというならば、自分の今のザマは何だ。
大事な人達に歪んだ視線を押し付けて、醜い欲を垂れ流して。
これでは今まで積上げたものも無意味だったのではないか。
──君ね。自分を許せないのはいいが、これまでの努力まで腐すのは頂けないぞ。
──考えてもみろ。本当に全て無駄なのだとしたら、今頃君の目の前の全ての人々は須らく灰になっているところだぞ。目の前の幻覚につられて、心を揺らしてね。
…それは、そうだけれど。
──なんなら話を聞くに、君は異常を他人に悟られすらしなかったのだろう?
さて、君が振られた理由は『恋人を嫌な目線で見る』からだったかな?
…それもそうかも、しれないが。
──納得したね?君は、君が努力し手にしたもので周囲を心身ともに守れているのさ。
今回は降って湧いた危機であったけれど…ちゃんと適切な行動を取り、大事な人を何も知らせぬままに助けて見せたんだ。それを誇りはすれど、どうして貶せって言うのかな。
──君は上手くやれている。上手くやれる自分になれている。
君が君を望む限り、君は、愛する人々のそばにいていいんだ。
ああ、もしも神仏が許さずとも、僕が許そうとも。
覚えている。彼は先に立ち上がって、わざわざ両手でもって引っ張りあげてくれようと。
──さあ、立ち給え。まずはなにか飲んで落ち着くとしよう。
…ああ。随分と調子のいいことを言ってきたものだ。
でも、いいのか。いいんだろうな。
他ならぬ彼が、ずっと近くで努力を見ていた彼がそう言ってくれるのが──なんだか、彼女ら当人から許されるよりも、ずっと救われる心地になってしまって。
嬉しくて。
己を忘れるくらい、嬉しくて。
きっと、きっと上手くいくんだって。
だから掴もうとした。
あの時、自分にだけ伸ばされたあなたの両腕を、
──火が。
幻にあらざる、本物の業火が。
ごう、 と。瞬きの間に覆い尽くして──
-
『──で、どうだったかね。半年ぶりの実家は』
「みんな変わりありませんでしたよ、社長。帰り際に菓子とかレトルトとか色々持たされましたけど…」
『里帰りとはそういうものだよ。やったじゃないか、一人暮らしの実績解除だ』
深夜の高速は閑散としている。帰省のUターンのピークも過ぎたようだが、想定外の長居を巻き返すとまでは行かなかった。
人気のない、トイレと自販機だけのパーキング。泊まり込みの車がポツポツとあるが、車内で電話する分には迷惑もかからない。
星のない空の下、建物の灯りと端末の照明だけがここの光の全てだ。
『ひと暴れの後ではあったが、他県への移動認可が取れて良かった良かった。感謝し給えよ、今回の弊社の功績分で宥めて騙くらかして何とか局に呑ませたんだから』
「…ありがとうございます。やはり、ひと月の経過観察では足りませんでしたね」
『そりゃあね。悪意の干渉によるものとはいえ暴走は暴走だ、向こうさんも今の3倍は調整期間を持ちたかったはずだよ。
なんて言ったって君であるからなあ…』
…今からひと月前、自分はある事件において大規模な神秘の暴走を許してしまった。
結果として死傷者や物品の損害は出なかったものの、今までの中でも最大級の範囲が灰と化したらしい。
そのため、事後の処置とその後の経過を見るため、ひと月の間設備のある裏の事務所で寝泊まりをしていたのだ。
性質上、必要最低限の外出は認められていたもののほぼ動けず。この直後に帰省など本来は言語道断、なのだが。
「…妹が生でランドセル背負うとこ、ようやく生で見れました」
『ああ 奏伝 ちゃんか。あの子ももうそんな歳になったのだね。
立派なものだよ。彼女も、傍で堪えていた君も』
「………はい」
指摘された途端に、胸中はざらついて思考は重くなる。
あの子が生まれたのは己に神秘が宿った次の年。実に6年以上の月日を、灰にまみれて暮らしているのか。
それに。
『まだ、顔は見られないかい?』
「…横向いてるとこを、5秒くらい…それからは、駄目でした」
『そうかそうか。──念の為聞くが、見えるものは変わらないね?』
「はい。
…… あの子の顔の端から火がついて…段々、灰になって崩れて、それから、 」
『 もういい、 不用意に聞いて悪かった。
それ以上思い出すのはやめなさい。もうしばらく運転するのだろう』
向こうの声も多少硬くなっている。珍しい、と沈む気分と別に軽い驚きも生まれる。てっきりいつも通り、この程度なんでもないように済ますとばかり。
ちょっぴり面白くて──少しだけ気が紛れた。
「大丈夫ですよ。こんなんで今更崩れませんから…
ともあれ、今回の定期確認としてはこんなもんですかね。この後は2時間後…までには帰ってると思うんですけど、その場合は車降りたタイミングですか」
『それで頼むよ。
局の換装チームに車預けたら、面倒だがその後は自力で表に帰るように。走行中のバイタルデータの提出は明日でいい』
「了解です…その」
一々やることが多いが仕方ない。本当ならば免許すら難しかったところを、様々な理屈を無理矢理こじつけて取れるようにして貰ったのだから。
少しでも普通の暮らしができるように。どれもこれも、あなたがくれたものだ。
『何かね、気になることでもあったかな』
「その、」
言っていない問題が実はあったか?違う。あれば隠さず先に言っている。
手続きが不満なのか?違う。あったとて、必要性はちゃんと理解している。
先の事件の鉄火場に、騙す形で後輩を巻き込んだことか?違う。今日に至るまで、何度もその話はした。毎度こちらが言い負かされていたけれど。
では、何か。
「…なんでもないです」
言えない。否、どうせ願ったとして叶いはしまい。
『そうかね?ならいいが。
では引き続き気をつけて帰るように…ああそうだ』
「なんです?」
『 お上はどうか知らんが。先の暴走、僕は君の非ではないと思っているよ。 指示を出したのは僕。唆したのは敵だ。
君はいつだって上手くやっているさ、気に病むのも程々にし給えよ』
…それだけ言い残して通話は切れた。
無音に戻った車内。画面を切り替えることもできず、ただ履歴の残る画面を眺めている。
やっぱりそうだ。
気づいていないわけがない、わかった上で言ってくれないんだ。
…なぜかを問うても、やっぱり答えては貰えないのだろうが。きっとそれが正しいのだろうな。
「──また」
あなたを焼いたあの日と同じだ。
「 また、叱って貰えなかった 」
⬛︎
確かにねえ。たった一言なのだし、別に言ってやってもいいんじゃあないかね。
『一切合切、貴様が全て悪いのだ』と?
馬鹿を言え、主も人だ。他人の慰撫に身を切るにも程度があろう。

また、どこかからぱちり、と音がした。