RECORD

Eno.139 浮季草 斂華の記録

ともだち

 夏休みも終わりに近づいた日の夕方、冷房の効いた部屋へと帰ってきて、鞄を乱雑に置き、ベッドへ身体を放り投げる。
 宿題も終わらせて、本来ならクラスメイトの宿題を手伝うか、遊び呆けるのが自然。というか、体面としてはそうなっている。
 今も、親は全力で生物採集をしてきた、というカバーストーリーに納得する程……身体と心はボロボロだった。
 負けず劣らずボロボロになった塾の制服は、鞄に詰めて隠している。


「……後で洗濯しなきゃ。」


 焦げ臭い。汗臭い。夏休み中、すっかり身についた匂いに対する価値観が、そんな事を思わせる。
 疲れた、眠い、何もしたくない。
 取り戻した筈なのに、嬉しい筈なのに、虚無感に苛まれる。
 必死だった。心臓が跳ねっぱなしだった。息を忘れるほど、身体を限界まで酷使した。
 でも、今身体を動かせない理由は、疲労感などではないと分かりきっていた。
 今日、友達を1人助けた代わりに、友達を1人無くしたのだ。


『君は酷いやつだ!
 よすがちゃんに成り代わって!好き勝手やって!』


 ドッペルゲンガー……autoscopyに衝動のままに投げかけた自分の言葉が、自分自身に突き刺さる。
 好き勝手やっているのは、自分も同じだ。違うのは、不可抗力だったことと、返す方法を知らない事。
 でも、他者から見れば同じ事だろう。私は純粋な女であった浮季草 斂華に成り代わって、ここにいる。


『だったら、悪魔に願えば良かったんじゃないか?』


 悪魔に、autoscopyに願う。そうすれば、あの月待よすがautoscopyの人格は残って……もしかしたら、自分の裏での姿を与えて、残せたかもしれない。
 でも、駄目だ。
 裏の姿だけ与える──それが通用する存在なのかも分からないし、そもそも、壱ノ蛇の姿を与えて、何が起こるか分かったものじゃない。
 アレは根本からして、悪いものだ。それは確かだ。


「……酷いやつだった。」



 だけど。

 服を買った。プールへ行った。キャンプをした。楽しい時間を過ごした。
 間違いなく、あの時は友達だったのだ。それは確かだ。
 最後に渡された黒曜石の首飾りが、布団と胸元の間にあるのを感じる。
 本当はすぐに砕くべきなんだろう。万一にも、また合せ鏡が起こってしまったら、またautoscopyが現れるかも。
 それとも、それを期待しているのかもしれない。
 それか、また合せ鏡の怪奇が現れて、全てを元に戻してくれる事を、心の何処かで期待してるのかもしれない。

 重い体を起こして、姿見に映す。
 青色のインナーカラーを入れた、女子の姿。
 間違いなく、浮季草 斂華の姿だ。でも、"本来あるはずだった浮季草 斂華"の姿とは、かけ離れているはずだ。
 選択によって、環境によって、大まかに収斂したとしても、収斂進化とは、あくまで似通ったにすぎないのだから。
 だから、あの子autoscopyは、間違いなく自分と同じ存在でもあったのだ。


「……ここにいてね。」



 姿見の側に置いた、真新しい、白いアクセサリーケースを開く。
 最近買い始めた様々な装飾を飾り、ひとまとめにできるもの。
 何段かに分かれた内、水色のチョーカーが収められている隣に、黒曜石のペンダントをかける。
 チョーカーはあの日、ドッグタグと一緒に、お揃いとなるように買ったもの。autoscopyが買ったものは、そのまま鏡の中に消えていってしまったけれど。
 白いケースの一角を占有する漆黒のペンダントは、どこか心の奥底に付いた、取れない染みの様にも見えた。



 ……私の方がうまくできると、彼女は言った。
 相貌失認。顔が分からないだけ?
 でも、彼女は明かすのが怖いと言って、autoscopyはもっとうまくやれると言った。
 顔が分からないという事は、どういうことだろう。
 顔の区別がつかない?似合う似合わないが分からない?
 男女の別を気にしない、ということであれば、認識ができないということ?

 印象が分からない、とする。つまり、他人の表情を伺えない。
 相手がどう思ってるかすら分からない。私に置き換えるなら──自分の立ち振舞が、違和感を与えているかどうか、表情をうかがい知ることができない。

 いつからだろう?
 産まれた時から?
 それとも、途中から?

 産まれた時から分からないなら、表情に頼るという発想が無い・・・・・・・・・・・・・筈。
 つまりは、後天的。後天的に他人の表情が分からなくなる。いきなり皆が仮面を付けだした様なもの。
 仮面を付けたまま、喜んでいる。怒っている。泣いている。楽しんでいる。

 人が視覚から得る情報は膨大だ。目は口ほどに物を言うのだ。
 もし皆が仮面を付けてしまったら、自分の振る舞いが他人を傷つけても分からない。
 もしかしたら。いつの間にか。皆離れていってしまうかもしれない。
 彼女は、私の生き方が生きづらくないか、と言ったけれど、彼女自身も生きづらいから、悪魔に身体を渡すことを選んだのかもしれない。
 失いたくないから取り戻した。でもそれは、エゴだったのかもしれない。

 何ができる?
 私は、彼女の友達として何ができる?

 少なくとも今は、彼女が求めた様に、困った時に力になってあげる位しかできないから。
 できる限り、その願いに応えたい。