RECORD
Eno.896 百堂 巡の記録
d18.外様なりの
「ねえ狸先生。唐猫様って知ってます?」
水を張ったバケツに桜の枝を差しながら、出し抜けに4代目はそう言った。
「唐猫様?」
「そう。なんかね、何処ぞの土地神さまなんですって」
「聞いたことねェなア、俺だって日本全土行脚して回ったワケじゃねェからな」
どっかりと縁側に腰を下ろす。
うっかりすると「なら良いです」とか言って話を切り上げていきそうな雰囲気の横顔を見上げると、狐の毛皮のような色をした前髪の影で男はいくらか考え込んだ顔をしていた。
まあ座れよ。ぼん、と隣を叩くとそのままのそりと腰掛ける。
「なんかね、里帰りしたら憑いてきちゃったらしいって相談してきた子がいて。対話できるかどうかって」
「祠でも壊したのか?」
「だったら僕が相談するワケないですよお。
おうちが祀ってたみたいなんです、それで今は誰も管理してないんですって」
虎、それか化け猫である。
転がって落ちてきた置物が御神体である。
他の人の手元や場所に持っていくと祟られる。
引き戻されるような気配は無いが、ぼーっとする。
「で、どうも神様自体弱ってるんですよ」
「余程その嬢ちゃんにくっつかねェと気が済まないワケだ、その神サンは」
「いるのか離れてるのかも分かりませんけどねえ。
祟りなんてホントにできるのかってくらい気配がうっっっすくて……僕でも平気で話してられましたからね」
現在進行形で宴の準備をしている間にも会いたくないとか呼びたくないとか戦々恐々としている末席が、である。これは本当に遠くから見ているか大層弱っているかのどちらかだろう。
落ちてきたと言うからには置物の付喪神の類かも分からないが、この口ぶりだとここには無いのか。
「他の奴の手元に置いたり場所移すとってのァ、アレだ、その気に入られてる奴が手に持って自分ごと越しても不味いのか」
「んー……? どうだろ、そこまでは聞いてないな。
でもダメなんじゃないかなあとは……土地神って言うからには土着じゃないと」
「人間が勝手に言ってるだけかも分からんだろ」
「ああ」
言われてみれば、の調子でぽんと手が叩かれる。
語られた通りに成る身上ではそうなるのも分からなくはない。
実際、この怪奇が北摩から外に出る時があるとすれば人に渋々連れ出される時くらいのものだし。
「逆によ、外出たら弱る身としてどうだよ。ずっと土地離れてると弱るもんなのか?」
「土地神さまと比べられましても」
「土着の怪奇なのは変わんねェだろうが」
「ンン……」
思案するように瞬いた目の奥で標識が揺れる。
「個神差があるのは前提で、弱る、と言っていいのか……体力が無くなるようなものじゃないんですよ」
「病気になるとかか」
「いや。うーん……薄まるんです、塩水に真水を足すみたいに。そして別に不可逆なものじゃない」
けれど憑いていたものは"弱って"いるような気がした。
だからちょっと違う、と。
そもそも、土着仲間だからといって土地を離れた悪影響が同じかは分からないが。
「あとは信仰を失った結果、と考えるのもまあひとつかな……と」
「藁をも掴む思いで巫女さん候補見つけてひっ憑いた、ってか。それなら夢枕にでも立ちそうなもんだがよ」
「出る気力も無いとかならまあ……
姿を見ることができる人もいる以上、意思疎通の手段はあると思いますから。祀ってほしいならそこで言えるかなあとは思いますね」
ともあれ、手を貸せるのはここまで。
区切るように言う横顔は幾らか残念そうに見えなくもない。
「僕はその手の力は無いですからねえ。
別の土地なら遠出して調べることもできませんし、この土地なら単に僕に記録が無いので。君に聞いて分からないんならお手上げです」
「心配か?」
「んまあ。それもありますけど、神様の行く末が」
ちょっと烏滸がましいかな。
頬杖をついた手首で、古びた鈴が揺れている。
「同胞はやっぱ心配か、道祖神サマ」
「さてね。ただ、切って捨てるんじゃなくて人も神も納得できる道があればいいなと思いますよ」
水を張ったバケツに桜の枝を差しながら、出し抜けに4代目はそう言った。
「唐猫様?」
「そう。なんかね、何処ぞの土地神さまなんですって」
「聞いたことねェなア、俺だって日本全土行脚して回ったワケじゃねェからな」
どっかりと縁側に腰を下ろす。
うっかりすると「なら良いです」とか言って話を切り上げていきそうな雰囲気の横顔を見上げると、狐の毛皮のような色をした前髪の影で男はいくらか考え込んだ顔をしていた。
まあ座れよ。ぼん、と隣を叩くとそのままのそりと腰掛ける。
「なんかね、里帰りしたら憑いてきちゃったらしいって相談してきた子がいて。対話できるかどうかって」
「祠でも壊したのか?」
「だったら僕が相談するワケないですよお。
おうちが祀ってたみたいなんです、それで今は誰も管理してないんですって」
虎、それか化け猫である。
転がって落ちてきた置物が御神体である。
他の人の手元や場所に持っていくと祟られる。
引き戻されるような気配は無いが、ぼーっとする。
「で、どうも神様自体弱ってるんですよ」
「余程その嬢ちゃんにくっつかねェと気が済まないワケだ、その神サンは」
「いるのか離れてるのかも分かりませんけどねえ。
祟りなんてホントにできるのかってくらい気配がうっっっすくて……僕でも平気で話してられましたからね」
現在進行形で宴の準備をしている間にも会いたくないとか呼びたくないとか戦々恐々としている末席が、である。これは本当に遠くから見ているか大層弱っているかのどちらかだろう。
落ちてきたと言うからには置物の付喪神の類かも分からないが、この口ぶりだとここには無いのか。
「他の奴の手元に置いたり場所移すとってのァ、アレだ、その気に入られてる奴が手に持って自分ごと越しても不味いのか」
「んー……? どうだろ、そこまでは聞いてないな。
でもダメなんじゃないかなあとは……土地神って言うからには土着じゃないと」
「人間が勝手に言ってるだけかも分からんだろ」
「ああ」
言われてみれば、の調子でぽんと手が叩かれる。
語られた通りに成る身上ではそうなるのも分からなくはない。
実際、この怪奇が北摩から外に出る時があるとすれば人に渋々連れ出される時くらいのものだし。
「逆によ、外出たら弱る身としてどうだよ。ずっと土地離れてると弱るもんなのか?」
「土地神さまと比べられましても」
「土着の怪奇なのは変わんねェだろうが」
「ンン……」
思案するように瞬いた目の奥で標識が揺れる。
「個神差があるのは前提で、弱る、と言っていいのか……体力が無くなるようなものじゃないんですよ」
「病気になるとかか」
「いや。うーん……薄まるんです、塩水に真水を足すみたいに。そして別に不可逆なものじゃない」
けれど憑いていたものは"弱って"いるような気がした。
だからちょっと違う、と。
そもそも、土着仲間だからといって土地を離れた悪影響が同じかは分からないが。
「あとは信仰を失った結果、と考えるのもまあひとつかな……と」
「藁をも掴む思いで巫女さん候補見つけてひっ憑いた、ってか。それなら夢枕にでも立ちそうなもんだがよ」
「出る気力も無いとかならまあ……
姿を見ることができる人もいる以上、意思疎通の手段はあると思いますから。祀ってほしいならそこで言えるかなあとは思いますね」
ともあれ、手を貸せるのはここまで。
区切るように言う横顔は幾らか残念そうに見えなくもない。
「僕はその手の力は無いですからねえ。
別の土地なら遠出して調べることもできませんし、この土地なら単に僕に記録が無いので。君に聞いて分からないんならお手上げです」
「心配か?」
「んまあ。それもありますけど、神様の行く末が」
ちょっと烏滸がましいかな。
頬杖をついた手首で、古びた鈴が揺れている。
「同胞はやっぱ心配か、道祖神サマ」
「さてね。ただ、切って捨てるんじゃなくて人も神も納得できる道があればいいなと思いますよ」