RECORD
最悪の危機
この悪魔は、伝承を信じる人々の恐怖から生まれた。
大元になったのは15世紀のワラキア公国の王、ヴラド三世。
コンスタンティノープルを陥落させ破竹の勢いでヨーロッパを征服せんとするオスマン帝国と
当時の東欧最大のキリスト教国家であるハンガリー王国に挟まれた小国ワラキアは、彼の手腕によってその位置を保った。
大国に対抗するためにヴラド三世が行ったことは、徹底的な心理戦。
「恐怖」を最大に演出し、敵の士気をくじき、その隙を突いたりその恐怖そのものによって戦争を終わらせることもしてきた。
その象徴としてもっとも名高いのが「串刺し刑」だ。
敵兵はもちろん、犯罪者や反逆した貴族なども等しくこの残忍な見せしめの死刑に処すことで彼は大国をも相手取れるほどの「恐怖」を操る男となれた。
だが、後に彼はオスマン帝国の謀略によりハンガリー王に逮捕され投獄されることとなる。
プロパガンダとして印刷された書物や手記には彼がどれ程の暴君であったかが書かれ、それを見た庶民は恐怖に怯えていく。
このような「恐怖」から発生、漏出した神秘が裏世界にて澱となり、一人の悪魔を生み出す。
その悪魔こそ「ヴラディスラウス」である。
この悪魔の力をメタフィジカ「ヴラディスラウスのマント」として出した私は、圧倒的な力を発揮した。
一つは、周囲の者全員に恐怖を士気低下を誘発させたこと。
ヴラディスラウスのマントは、見る者全員に強力な精神干渉を引き起こす。
対処できる者も多いが、基本的には士気の激減に繋がる。
それは啓真や、彼が作る牛のような炎の小型怪奇にも効いた。
そして、私の扱う聖水剣に、膨大な炎が纏われる。
これは、ヴラド三世がオスマン帝国に対し大規模な夜襲を繰り広げたことや焦土作戦を行ったことに起因する力。
侵略者を決して赦さぬ力。
それをまとった一振りは──啓真の身体に、確かな傷を与えた。

「──! バカな……! カークスの鎧が、貫かれた……!!?」
驚きの表情を見せる啓真。
「あの少女……啓真に通じる攻撃を出せるのか! いける……勝てるぞ、この戦い!!」
管理局の人達も、勝機を見つけて心を奮い立たせる。

「……っ。マリー……」
ただ一人……私の想い人だけは浮かない表情だったのだが。

「おおおおおおおおおっ!!!」
だが、私はそれを気にも留めない。
折角開いた突破口なんだ。
ようやっと、この憎き男を殺せる日が来たんだ。
私から瑠花を奪い、鈴菜から両親を奪い、今なお多くの人の大切な誰かをヘラヘラと笑いながら奪い続けるこのゲス野郎を!!

「絶対に逃がさん……。貴様だけは、貴様だけは……!! 絶対、私がぶっ殺す!!」
感情が高ぶり、幼少期に修正され普段は出ないはずの粗暴な口調が復活する。
そして、その感情を乗せた最大の一撃が啓真を捉える。
ヴラディスラウスの炎が炸裂し、巨大な火花となって。
圧倒的な「恐怖」をまとった炎と剣閃は、啓真を吹き飛ばしたのだった。
「勝った……俺達は、勝ったんだ……!!」
戦闘が終わり、職員の方々が人質救助に向かう。
拘束されていた人々は縄を解かれ、職員の肩を借りていく。
全てが終わる。私の復讐も、鈴菜の想いも。
ただ一つ、この悪魔の力のことだけはどう説明しようか。
いくら鈴菜でもさすがに赦してくれないかもしれない。
けれど、そんなことはもうどうでも良かった。
鈴菜を守れた。鈴菜の両親の仇を討てた。そのためなら、後悔はなかった。
吹き飛ばされ倒れている啓真に近づき、改めて聖水剣に炎を纏わせる。
本当はヴラド三世がしたように串刺しにしてやりたいが、鈴菜にはつらいものを見せることになる。だから、一思いに首を断つ。
そう思って剣を振り下ろそうとした、その時だった。
「待って、マリー」
私を止める声が聞こえた。鈴菜の、声が。

「鈴菜……?」

「ごめんね、マリー。けれど……お願い。マリーが剣を振り下ろす前に……キリエを歌わせて欲しいの。その……緋月啓真に……」

「……は?」
鈴菜が何を言っているのか判らなかった。目の前に居るのは、私と鈴菜両方の大切な人を無惨に殺した相手だというのに。
だが、鈴菜は続ける。

「判ってる。私だけじゃなくて、マリーの大切な人を奪った相手だもの。私だって憎いよ。……けれどね、だからこそ、キリエを歌いたい。主と聖母様、そして……神様に『この人に憐れみを』と願いながら……」

「鈴菜……お前、自分が何を言っているのか判ってないだろ? コイツに憐れみなんて必要ない!」

「それは違うよ、マリー。ここまで間違えてしまった人だからこそ、神様の憐れみが必要なんだよ。私たちはこの人の事を犯罪者としてしか知らない。けれど、こうなるまでになってしまった原因があるかもしれないじゃない」

「そういう『原因』がないというなら、それこそ憐れみが必要だよ。愛を知らず、ただ破壊と殺人衝動に任せて行動するしかないってことなんだから」

「鈴菜……。お前の優しさは確かにお前の一番のいいところだ。だがな……コイツは!
そんなお前の両親を笑って殺した奴なんだぞ! そして、今なお瑠花を殺したことを面白おかしく思ってしかいないのも、さっきの会話で判るだろう!」

「さすがに今回ばかりは私は引く気はない! お前がキリエを歌う前にこの首を叩き斬ってやらないと私の気が済まない!!」

「……。そういうところだよ、マリー……」

「……? 何がだ?」

「今、『私の気が済まない』って言ったよね。ねぇ、マリー。今のあなたは……『誰かを守るために戦っている』って、胸を張って言える……?」

「──!!」

「私だって憎いよ。お父さんもお母さんも本当に大好きだった。憎しみがないと言えばウソになる。けれどね、マリー……私は……ただそのためだけには生きたくない。最も憎い相手を目にした、そんな時こそ……信仰を強めて、祈る道を選びたい。それをせず、許可が下りたからと言ってただ感情のままに剣を振り下ろしたら……きっと、私たちは──」

「──うるさい……」

「え……?」

「うるさいって言ったんだ! 鈴菜は何も知らないからそんなことが言えるんだ! 私が瑠花を失った時……瑠花は悲鳴を上げ、私の名前を何度も呼んでいた! それに対して何も出来なかった私がどれ程惨めで悔しい想いをしたか……愛する人の断末魔の叫びを聞いたことのない鈴菜に判るものかっ!」

「そんな私の気持ちも知らないで……聖女の振りしてカマトトぶるのもいい加減にしろよっ!!」

「──っ……!」

「──!! あ……。鈴、菜……。ごめ……そんな、つもりじゃ……」
口に出してしまった。「ケンカ」では許されない言葉を。
場の空気が凍り付いてしまったのを感じる。
お互い動けなくなってしまった私と鈴菜。
それを見かねた職員の人が、気絶している今なら啓真の特殊な防御も使えないだろうと思ってトドメをさそうとした。
──まさに、その時だった。
──バシュッ! バ、グンっ!!
突如、何かが走り出す音とかみ砕く音がした。
振り返れば、そこに職員の人の姿はなく。そして──

「あっ、ぐ……!」
その余波で足先を食いちぎられ、倒れ伏した鈴菜の姿と悲鳴が私の脳に届いた。
次に見たのは……私たちの周りを取り囲むようにして作られた、炎の結界だった。
「いやぁ、結構結構。時間稼ぎ、ご苦労様だったね。お陰で準備が滞りなく完了したよ」
声のする方を振り向けば……
傷を回復し、巨大な炎の獣の頭を携える啓真の姿があった。