RECORD
鈴菜の赦しとブラッディマリー
侵略してくるオスマン帝国の大軍に対し、小国ワラキアの王ヴラド三世がしたこと。
それは、徹底的な焦土作戦にて敵を疲弊させ、ゲリラ戦法にて何度も小突き、捕虜をとらえ。
その捕らえたオスマン帝国の者達をみな串刺しにして
20000とも23000とも言われる「血塗られた杭の林」を作り上げことだった。
この異常な光景を目にしたオスマン帝国の兵士はみな士気が消滅し続々と逃亡を始める。
その果てには彼らの頂点に立ち、コンスタンティノープルを陥落させた皇帝ですら「こんな男から国を掠め取るのは不可能だ」と語ったという。
それらをひとまとめにした、まさに地獄。それが、悪魔の張った結界内で再現された。
まずあったのは炎。侵略してくる大軍になにも補給させぬため家々や田畑を焼き払う焦土作戦の炎。
次にあったのは地を満たす毒の水。侵略してくる大軍に水を補給させぬようあらゆる井戸に毒を投じたかのように。
そして、範囲内の空気がおぞましくなっていく。侵略してくる大軍に向け疫病患者を紛れさせて壊滅的な打撃を与えんとするように、疫病が舞う。
それらの光景がわずか一秒にて展開され──
──ドドドドドドドドドっ!!
刹那。結界内の地上から血塗られた杭が猛烈な勢いで出てきた。
「ギャアアアア!!」
「な、なんだこれは、助け──ぐぁあああっ!!」
次々と悲鳴が聞こえてくる。管理局の人達と、人質の人達の。
杭は一度誰かに当たれば消滅し、また瞬時に生えてくる。
一瞬だけ運よく刺されずに済んだとしても直後に生える杭に攻撃されていく。
そうして、死ぬまで何十何百と貫き続けるのだ。発動者である私とヴラディスラウスを中心とした半径150m内の生命が全て息絶えるか結界が消えるまで
悲鳴の中に啓真の声は入っていたのだろうか。
そんなことを気にする余裕などまるでなかった。
みんな死んでいく。私のせいで。
私が、顕現させては絶対にならなかった存在を顕現させたせいで。
管理局の人達も、人質の人達も。そして、鈴菜も──
いや、聞こえない。
悲鳴の中に、聞きなれた鈴菜の声が聞こえない。
「バカな……なぜ、なぜ対抗できる……!?」
代わりに聞こえてきたのは、悪魔の声だ。その視線の先を見れば──
その先に、鈴菜が居た。
治癒術を限界まで回し続け、攻撃を受ける端から回復し続けて耐えている鈴菜の姿が。

「はぁ、ふぅ、う……!」

「鈴菜……何やってるんだ! 早く、早く逃げてくれっ!」

「マリー……。そうだね……。今この場の神秘率はすごく高くなってる。啓真の炎の結界も消えた。だから、治癒を全力で回しながら歩いていけば、この足でもギリギリ逃げられるかもしれない……」

「じゃあなんで……なんで逃げないんだ……!」

「……。それはね、マリー。『かもしれない』でしかないから、だよ」

「え……?」

「聞いてくれる? マリー。今この場で私が逃げ出しても、助かる確率は少ないと思うの。それに賭けるのもアリかもしれないけれど……もしダメだったら。私からマリーに渡してあげたいものが渡してあげられなくなる。私、それだけはイヤなんだ」

「私はそれよりも……私が渡したいものを確実にマリーに渡す道を選びたい。マリーへのキリエを届ける道を」

「鈴菜……」

「マリーってさ。昔から正義感とか強かったよね。私はそれに助けてもらったけれど……同時に、危うさも感じてたの。ここまで正義感の強いマリーが何かの間違いで罪を犯したら、きっと自分を許せなくなるんじゃないかって」

「だから、私はマリーのそばで多くの人にキリエを歌ってきた。赦しを願ってきた。罪に苛まれるマリーに、言葉を届けるために」

「親しい友達を赦すのなんて誰だってやろうと思えばできることだよ。けどね、そういう言葉じゃ届かないと思うの、今のマリーには。今、あなたに届けなきゃいけないのは……誰に対しても祈りと赦しを信じてきた人の言葉」

「私は、それを届けたい。誰があなたを非難しようとも、あなた自身があなたを非難しようとも……それでも『赦すよ』って言いきる人間が、確かに一人いたんだって……忘れないで欲しいから」

「マリー、言ってたよね。マリーのお母さんは、両親はきっと天国に行ってるって言ってたって。私もそう信じてるよ。だから、信じる……今のマリーだって赦されていいんだって。救われちゃいけない人なんて、どこにもいないんだって」

「私は、マリーに諦めて欲しくない。どれだけひどい罪を犯したとしても……それを悔い改めて、やり直そうと必死になれば。神様は、きっとその魂を拭ってくださる。チャンスがないなら、作ればいい。そう信じていて欲しい」

「……まぁ、私がそれを伝えるのが下手すぎて、さっきみたいなケンカになっちゃったけどさ。そこは、私の反省点かな……」

「鈴、菜……。お前は……ずっと……ずっとそんな風に……!」

「そんな顔しないで、マリー。私は、マリーのことが大好きなんだから。正義感に溢れてて、けれど暴走しちゃいがちで。けれど、だからこそ。あの日、私を助けてくれた。あの日から……私は、誰よりもマリーのことが大好きだった」

「だから……私は、歌うよ。誰よりも大好きなあなたに、赦しがありますように……心からの祈りを込めたキリエを」
鈴菜が祈りの手を組む。ふと、不思議な感覚があった。
敵や犯罪者に対する徹底的かつ苛烈な攻撃。それが、鈴菜に対してだけはかなり威力が弱まっている。
鈴菜の回復力はもちろんだが……『緋杭』が本来の威力を発揮できていないのが鈴菜が耐えられている本当の理由なのだと感じた。
「そうか……! 小娘! お前のその祈りが……!!」
ヴラディスラウスの姿がブレ始めている。私の余力……つまりは顕現するための力がどんどんなくなっているのだろうか。
それもあるのだろう。けれど、きっと……一番の理由は……!
そう思うと同時。鈴菜が息を吸う音が聞こえて。そして──

Kyrie eleison─Kyrie eleison──
どこまでも、澄んだ歌声が響き渡った。
地獄の杭は収まり、悪魔の姿が私の中に収まっていく。

「鈴菜……」

「良かった……間に合った」

「──! その言葉……あの時の……ハンバーグサンドの時の……」
刹那。トッ、と近づいた鈴菜の唇が、私のそれと触れ合って。

「大好きだよ、マリー」
その言葉を最後に……鈴菜は私の腕に倒れ込み。冷たくなっていった。

「鈴菜……」
「……私は、大馬鹿野郎だ……鈴菜の想いに、なにも気付かないで……ただ、自分の怒りだけに狂い続けて……!」

「何をやっているんだ、私は……!! なんで、一人だけ生き残っているんだ……!!」

「私こそが死ぬべきだったのに!! 私が……!! 私が……!!」
「死ねよ! 今、この場で!!!」
その場に落ちていた管理局員の武器を手に取り、喉に突き付ける。
だが、動かない。動かせなかった。

「鈴菜……どうして……どうしてキリエなんて歌ったんだ……。憎んでくれれば、私はこの場で自分の喉に刃を突き通せたのに……!!」
救援を受けてやってきた後続部隊がその場の事後処理を始めるまで。私は、鈴菜の身体を抱いてうずくまっていた。
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鈴菜が死んでから数週間が経過した。
表向きには、鈴菜が私とのGWの旅行中に旅館の火事にあってしまったということになった。
私は管理局の捜査には全面的に応じ、家に帰ってからは一度も自分の部屋を出れていない。
封印指定遺物に関わる事件だったことでメイドたちにはもちろん、両親や兄様にも本当のことを言えない。ただ、鈴菜を失った悲しみで伏しているとウソをつき続けた。
父様と兄様はやがて仕事に戻り、母様も病院に戻る。
そんなある日。私は管理局からの呼び出しを受けた。
私の処置が決まったらしい。何も食べずに家を出て、管理局に向かう。
その先で、私たちを指導してくれていた上官と再会する。
処置は、彼から聞かされる手はずだった。
「……先の件は残念だったな。だが、これは神秘を扱い戦いを生業とする上では起こりうることだ。……尤も、学生であり特別協力者に過ぎない君にはあまりに重い負荷だとは判っているが」

「……」
「犠牲になった管理局員と人質については、あの旅館の火事に巻き込まれたことにしてある。日坂くんと同じようにな。さて……君の処分についてだが」

「……死刑でしょう? 判ってますよ。家族には『危険な任務に行く』と言っています。……一思いにお願いします。とっとと地獄に落ちますから」
「………………」
「……判った、担当のものに取り計らおう」

「ありがとう、ございま──」
「などと言うと思ったのか? 『一思いにお願いします』だと? そんな泣き言を叶えてもらえると思っているのか。洗礼の場で、『あの地獄の中』で。君が日坂くんに貰った祈りは、そんなに軽いものだったのか!?」

「っ……!!」
「管理局からの通達、正直やんわりと伝えようと思っていたんだがな。そんな泣き言に縋っているようなら遠慮はいらなさそうだ。土岐マリアム。──君の拘留を解除する。再び対策課の協力者として活動せよ」

「…………。……え?」
「聞こえなかったか?」

「聞こえてましたよ。だから『え?』と言ったんです。どうして……どうしてまた対策課に戻っていいと……? 私は……あの人たちを……鈴菜を……」
「『戻っていい』じゃない。『戻れ』だ。理由についてだが……一つ目、あれは過失による事故だ。君の故意ではない。二つ目、君が完全顕現を許すまで悪魔は暴走できない」
「そして三つ目……カークスの火種が消えた」

「!!」
「カークスの力を持つ緋月啓真を殺したことで火種も破壊できたと思えたんだが……痕跡などの調査により、カークスの火種はどこかに移動してしまっていることが判明した。もう裏世界のどこにあるのか見当もつかない」
「君も知っての通り、カークスの火種は封印指定遺物。その存在を水面下に押しやりながら探査を続ける必要がある。……判るな? カークスの火種の神秘の質を知っているのは、君と痕跡調査に携わったごく一部の職員だけなんだよ。あの遺物の特性上、情報を広めて探す訳にもいかんしな」

「そう、ですか……」

「──わかりました。私は、再び対策課に戻ります。早速仕事を回してください。なるべく重いものを。封印指定遺物の情報に繋がりそうな重い案件を」
「……了解した。上にはそう伝えておく」
上官が部屋から出ていく。ドアが閉まれば、私は独り言をつぶやいた。

「……はは……ハハハ……」
「笑えるな……あれだけのことをして……未だに禍根を潰すことが出来なかったのか……」

「ハハハ……ハハハハハ……アッハッハッハッハ!! もう笑うしかないな! なんて無様だ、なんて醜態だ! 一番守りたかった相手を守りも出来ず! ただ自分の憎い男だけを殺しただけで!! 本当に壊さねばならない存在をみすみす見逃しただなんて!!」

「最っ高の傑作だ! 笑い死んでしまうよ!! アーハッハッハッハッハ!!」

「ハハハハハ……ハハハ……は……」
「死ね……死んでしまえ……。貴様は、苦しんで苦しんでその末に永劫の地獄に落ちてしまえ……」
──こうして私は、重要な機密を抱えたまま封印指定遺物を探すため。神秘犯罪者を追う重い仕事も引き受けていく。
そうしていつしか、一部の人は私をこう呼び始めたのだった。
──ブラッディマリー、と