RECORD

Eno.139 浮季草 斂華の記録

俺が私になった時。

 入学式が終わって、早めの帰宅になる。新しい面々との顔合わせも終わり、軽い自己紹介や雑談、小学校の紹介やらまで済ませて、連絡先なども交換した。
 ただ、どうしてもグループが分かれているから、今までの様に男女問わずとはいかなかった。見えない壁があるようで、なんだか息苦しい。
 ひとまず声をかけて、話題をふっかけてはみたけれど、初対面だったからか、反応もあまり良くなかった様に見える。
 新しい環境は難しいな、と考えながら帰り道を歩いていると、見慣れた顔が見えた。

「お、そっちも終わった?」



 どこの学校でも細かな時間は違えど、どれも早めに終わるようだ。更にモノレールでの通学時間によるズレが偶然、良い方向へ働いたらしい。
 別の中学を進学先に選んだ友人と偶然出会った。新しい環境でうまくいかなかった会話も、慣れている間柄であれば問題なく。

「これで向こう6年受験しなくて良いんだぜ?それ考えたら塾通いもお釣りが来るわ。」



 受験をしないで進学した友人は、3年遅れで受験生活を送る事になる。3年でまた受験するのか、6年でまた受験するのか。
 ──そんな損得だけで選んだ訳では無いけれど、鉄板な話をしていると、ふと友人から感じる視線に違和感。
 問い質せば、制服に慣れない、などと言い出した。

「……なんだよ。俺が制服着てたら駄目か?」



 そういう訳ではない。ただ、見慣れないだけだと言う。
 そんなの、新しい服を卸す度に言ってたか?などと言い返せば、スカートに慣れないなどと言い出す。
 お前って、女なんだよな・・・・・・、と。

何当たり前の事言ってんだよ・・・・・・・・・・・・・。それに、俺が女だからって何も変わんねえだろ。」



 別に関係性が変わる訳でもなし。学校が変わったからって、今まで通り遊んでは駄目と誰も禁止している訳でもない。
 だから、その時はそのまま分かれた。この先もずっと、同じ様な日常が送れると思っていたから。


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「……ん?」



 違和感。シワにならないよう母に言われ、部屋着に着替えたところで、一瞬動きが止まる。
 何かしっくりこない。うまく言葉にできないが、服を脱ぐのにこんな工程は必要だっただろうかと、指が、慣れとは程遠い動きをする。
 まるでゲシュタルト崩壊が動きのレベルで起こっているような。眠る時に舌や眼の位置を意識してしまった時のような。

「ま、良いか。」



 気の所為。こういうのは大体、環境が変わったから起こったことだ。
 気にしない。入学式が終わって、本格的なお勉強が始まるのは明日から。
 だから、今日の残りは遊びの時間にしよう。

 その違和感の正体が顕になったのは、その数時間後。
 身体にあり得ないものがあった。
 否、見慣れた筈のものがあった。
 でも、それはあってはならないもので。でも、どちらもあるのだ。

 その時、全てを思い出した。

 俺は、男だった筈なのだ。


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「神秘……?」



 数日後、こっそりと、一人で向かった病院で告げられた言葉だった。


 元々男だったなどと、誰にも言えない。言える筈がない。
 写真を漁った。
 全てのデータは記憶の通りだった。確かに、女物の服を着せられた時期はあったし、好んで着ていた時期もあった。
 でも、去年までは着ていなかった筈だ。女物の水着を着たプールの写真なんて、どうして残っている?
 記録を漁った。
 名前も、漢字も、身長体重も全て同じだった。でも、性別欄や保険証、身分を証明するもの全てが、自分が、"浮季草 斂華"が女であると証明していた。
 記憶を辿った。
 友人の、男女どちらの名前も覚えている。父や母の記憶も同じだ。
 だが、確かに違う記憶がある。なぜ、俺はどちらのトイレの構造も分かるのだろう。侵入した事などあるはずがない。でも、克明に思い出せる。

 母に聞いても、父に聞いても、誰に聞いても、俺は女だと言ってくる。
 そうだと、自分でも思っていた筈だ。
 じゃあ、この身体は何だ。今まで無かった筈の男/女の特徴と、男/女の記憶と、男/女の自意識は、なんだ。

 頭がおかしくなりそうだった。見慣れた筈なのに見慣れないものが身体にあることが、どれも気持ち悪かった。
 でも、恥ずかしくて相談もできなかった。母親にも、父親にも、どちらにも相談できず、でも普段は何も無かったかのように過ごした。
 だけど、不安で仕方がなかった。自分はどうなってしまったのか。何かの病気になってしまったのか。
 申し訳なかった。男の自意識のままで、知らないフリをしてクラスの女子と一緒に過ごすしかなかった。男の時の様に男子に話かけに行っても、今までどおりにはいかなかった。
 友人にも話す事はできなかった。男の友人にも、女の友人にも。そのどちらにも、女と男の自意識が邪魔をした。
 でも、誰も自分を知らない場所で、誰かに聞いてほしかった。
 だから、ちょっと離れた場所にある、何度かかかったことのある病院で……打ち明けた。
 気の所為だったら良い。何かしら、病名が付けば良い。それで安心できれば、親に打ち明けて、病気にかかってしまったと気楽に打ち明ければ良い。


 そう思っていた自分の目論見は、全て無駄に終わった。


 身体の神秘率が高いらしい。訳が分からない。
 今の身体の特徴と、過去の診断では説明がつかないらしい。なんだそれ。
 説明を付けてしまうと、逆に俺が危ないらしい。訳が分からない。
 結論から言えば、今の状態を隠し通してほしいと言われた。

「……親にも?」



 神秘は、知る人が少ないほど良いらしい。もし、一般的に知られてしまったら、神秘は失われる。
 その時、俺は男に戻るのか、記録通りの女になるのか、中途半端な今のままなのか、分からないらしい。
 どうにも話を濁すから聞き出すと、神秘存在は神秘が失われると消滅してしまいかねないらしい。俺もそうなるってことか?
 元に戻れるのか問うと、原因が分かれば可能性はあるらしい。心当たりは無いかと言われて、ふと思い出した事があった。


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 ──家の、鏡の前に立つ。
 古い鏡だ。母親の祖母……ひいおばあさんから受け継がれたものらしいそれは、角度が付いた三面鏡になっている。
 色んな角度から姿が見れて、姿を一目で確認できるそれは、角度を急にすれば合わせ鏡になる。
 横を向けば、ずーっと、鏡写しの姿が真っ暗になるまで続いている。この間、入学式の前夜に鏡に姿を映した時、妙な感覚があったのは確かだ。
 ふと、背後に影があった。
 振り向いた時には、もう何もいなくなっていたけれど、確かに何かがいた気配がある。

 これか。これが原因か。ここにいる何かが原因か。

「…………あぁぁああああ!!!」



 出てこい、出てこい、出てこい!!
 お前のせいで、こんな身体になって、今まで通りにいかなくなって!
 掴む。叫ぶ。詰る。
 指を鏡に突き立てて、引きずりだそうと試みる。
 照らす。花瓶の水をかける。──そして、割ろうと花瓶そのものを振り上げたところで──。

「──あ。」



 母親の、唖然とした姿が目に入った。
 思い出の品を、滅茶苦茶にしたところを見られた。今まさに、台無しにしようとしたところをみられた。
 花瓶も、母のお気に入りだから、置いてあった筈のそれを振りかぶったまま……そのまま、台無しには、できなかった。


 それから、どういう話をしたのかはあまり覚えていない。
 でも確か、今まで通りの交友関係が無くなって、"女として"強調されるのが嫌だったんでしょ、と結論付けられた気がする──表向きは。

 斂華は斂華のままで過ごして良いんだよ。そう言われた気がする。
 確かにそれは救いになったし、本当の事は話せなくても、落ち着けた。
 だから、中学の間はなんとか……なんとか、今まで通りに過ごせた。
 男友達もできたし、病院も最大限のサポートをしてくれたし、普段はそのことすらも忘れさせてくれていた。

 ……でも、神秘はずっと、私の身体を蝕んでいた。