RECORD

Eno.392 悪喰 白の記録

最も出会いたくない

 その報告を聞いた時、俺は耳を疑った。
 つい先日のことだ。アザーサイドコロニストに"ある怪奇"が保護を求めにやってきたらしい。それが神秘管理局の末端の局員である俺にまで届いてきたのだ。

「なんで……なんでだ? なんでいるんだよ!?」

 報告を受けて、俺の口から出た第一声はそれだった。
 その怪奇は俺にとっては"いるはずのない存在"で"いるはずのない顔"をしていたから。いや―――"いてほしくない"……もっと言うなら、"ここにいてほしくない存在"と言った方が正しいか。

「やはりその怪奇が、お前が前に言っていた奴だな?」

 その声を聞いてハッと我に帰り、相手を見やる。俺の上司である女性局員が資料の顔写真を指さして、俺に無言で確認を取っていた。

「…………そう、です。"悪食"……確かにこいつは"悪食"です」
「そうか」

 俺が苦し気に絞り出した肯定の言葉に反して、上司は淡々と返すだけだった。当然だ、俺がこいつに抱えている感情も、過去も、何一つ彼女は知らないし、組織には必要のないことだったから。
 "悪食"。そう呼ばれる怪奇を俺は知っている。いや、実を言うなら深くは知らない。ただ俺の故郷であったある村ではそれを信仰していたというだけの話だ。そして俺は小さい頃に村を離れ、母方の祖父母の家で過ごしていたから、その村のこともよくは知らなかった。
 ただ、そう……あの村が実は噂をするのすら恐ろしく感じるほど……おぞましいものであったことだけは思い知っている。そして、あの悪食も。
 だから―――

「コロニストは……なんと」
「保護を認めるそうだ。それと……こちらが望むなら、神秘解析のために共同で管理しようという話も。上もそれを希望していてな、それでその担当が恐らくはお前に―――」
「それはダメだ!!」

 その言葉を聞いた瞬間、俺の全神経がそれを跳ねのけた。俺の恐怖心が、俺の罪悪感が。未だまともに悪食と対面することを全力で拒んだ。理屈も、組織のルールも、立場も、何もかも投げ捨ててでも、それだけはダメだと。

「ダメだ。こちらこそ容認できない」
「ッ!!」

 簡単にNOを突き付けられて。しょうもなくも切実な俺の抵抗はあっけなく砕け散った。

「悪食について知っているのは……もはやこの世界でお前だけだ。それにお前が神秘管理局に入ったのも、また……いつかこんな日が来ると自分で分かっていたからだろう?」
「…………」
「まぁいい。実際に上からどんな指示が下されるか、正式には決まってはいない。それまでに覚悟を決めておけ。管理方法はお前とコロニストの使いで決めればいい。今日のところはそれだけだ。いいな」
「……はい」

 絶望の中で辛うじて絞り出せた返答を最後に、この部屋に静寂が訪れた。
 様々な思いが去来しては散り……後には黒ずんだ穢れの如き悪感情だけが残る。悪感情は思考を、感覚を、精神を鈍らせ―――

「……雨」

 ―――いつの間にか、俺は雨が降りしきる外で一人佇んでいた。もう辺りは暗く沈んでいて、辺りの電灯と家屋の灯りだけが周囲を照らしている。
 悪食は生きている。そしてもう目を逸らせないほど近くにいる。俺は彼と……あの少年と……

「……いっそ」

 あの時、食われておけば。
 その言葉は雨音に消え、自分でもそう言葉にしたか分からなくなって。
 ただそこには"黒"が残る。恐ろしくて、おぞましくて。
 飲み下せない"俺"がそこにいた。